五名生石神社
ごみようおいしじんじや
本堂の東部、標高四五〇メートルの高所の南向きの斜面にあり、祭神大名牟遅命・少彦名神・白鬚神。旧村社。近世には生石明神と称し、沼田・本堂・中嶺・中・瀬井・彦ヶ瀬・西ヶ嶺・有原・青田・延坂・大薗・大西・尾上・冬・小原・立石(現金屋町)一六ヵ村の産土神。所在地本堂は中世には社領地であったという(続風土記)。当地中尾家蔵の由緒書によれば、阿波の人中尾藤九郎が天慶元年(九三八)に杉尾大明神を生石ヶ峰に勧請して生石大明神と称し、正暦元年(九九〇)現在地に移したという(続風土記)。同年の棟札写が記録されているが、先の由緒書とともに疑わしい(金屋町誌)。「続風土記」に康永三年(一三四四)・応永二二年(一四一五)・延徳二年(一四九〇)・永正一四年(一五一七)・天文三年(一五三四)・永禄一二年(一五六九)の棟札があったとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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