本堂村(読み)ほんどうむら

日本歴史地名大系 「本堂村」の解説

本堂村
ほんどうむら

[現在地名]芦原町北本堂きたほんどう

竹田たけだ川南岸の自然堤防上にあり、角屋すみや村の東に位置する。石山籠城中の教如が越前門徒に宛てた天正八年(一五八〇)のものと推定される書状(福円寺文書)中に、当村近辺の中浜なかのはま村・布目ぬのめ村などとともに「ほんと」と記載されている。慶長九年(一六〇四)結城秀康が多賀谷三経に加増を行った際の加増地中に「三国本堂村」の一〇〇石も含まれている(多賀谷文書)


本堂村
ほんどうむら

[現在地名]窪川町本堂

東又ひがしまた川と与津地よつじ川の合流地東にある平地の村。「土佐州郡志」には「東限大埆、西限川、南与津地島之宮、北限多幾畑川、縦二十町横五町」とある。「南路志」には「仁井田郷本堂之内」として五九村の名がみえ、当村がその中心村であったとも考えられるが詳しいことは不明。同書所収の「仁井田郷談」によれば、古くは仁井田にいだ新在家しんざいけ郷一二村の一。天正一七年(一五八九)の仁井田之郷地検帳に村名がみえ、地積二〇町六反余、ヤシキ二一筆で志和分・西原分が混在。

元禄地払帳では総地高四九七石余、うち本田高二一七石余、新田高二七九石余。本田高は蔵入地四石余のほかは山内常之介ら二人の知行、新田高は貢物地四石余のほかは深尾数馬役知。


本堂村
ほんどうむら

[現在地名]柏原市本堂

大県おおがた郡に属し、信貴山朝護孫子しぎさんちようごそんし(信貴山毘沙門天、信貴山寺)の南に位置する。信貴山寺は大和国平群へぐり信貴畑しぎはた(現奈良県生駒郡平群町)にあり、両村の境は河内・大和の国境でもある。標高約三〇〇メートルのところに位置する。産土神の大狛おおこま神社は延喜式内社。大狛氏の氏神か。当地は古代の大県郡巨麻こま(和名抄)にあたる。本堂という地名は、信貴山寺がもと当村内にあったためと伝える。


本堂村
ほんどうむら

[現在地名]金屋町本堂

有原ありはら村の北東に位置し、北は中嶺なかみね村。「続風土記」は「中嶺村の南十町にあり、当村もとは中嶺の中にて生石神社の領なりしに、天正以来明神境内神宮寺境内残らす公地となりて慶長検地に分ちて二村とす」と記し、中世には当地生石おいし明神(現五名生石神社)の社領地であったらしい。地名は当地所在の興善こうぜん(真言宗山階派)の本堂にちなむか。往昔の興善寺はこの地方真言宗寺院の中本山で、生石明神の別当寺として栄えた。


本堂村
ほんどうむら

[現在地名]福井市本堂町

羽坂はざか村の西に位置する。耕地集落の南、未更毛みさらげ川がつくる平野部に広がる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では安居あご保に含まれていたと思われる。村名は正保郷帳にみえ、田方一千二七石余・畠方一六一石余。福井藩領。

越前地理指南」は枝村として「松谷・高尾」を記し、「南山ノ頂ニ千本松アリ、一囲計。御立山アリ」とある。「越前国名蹟考」には「白山権現 安居惣社 西堂東堂二つあり、祭礼の日獅子渡る、此日飯をつくね投て氏子供拾ひ取る事あり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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