(1)平曲の曲名。伝授物。読物(よみもの)13曲の一つ。文覚上人(もんがくしようにん)は,当時荒廃していた高雄の神護寺の修理を志し,寄進を勧めるために勧進帳を作って諸方を説いて回った。院の御所に参ったときは管絃の最中だったが,かまわず庭に入り込んで,〈それおもんみれば真如広大なり……〉という長文の勧進帳を大声で読み上げた。読物は普通の曲にない特殊な曲節に作曲されているが,現在は伝承が絶えている。(2)能《安宅(あたか)》の部分の名。関守の疑いを解くため,弁慶(シテ)が即席に案文しながら偽りの勧進帳を読み上げる部分。読物という特殊な形式の曲節で,この部分を独立させて独吟として謡ったり,小鼓または大鼓1人と謡1人が共演する一調という形式で演じたりする。(3)能《安宅》の観世流の小書(こがき)(変型演出の名)。勧進帳は,各流とも山伏一同が弁慶と唱和するのを本来の形とするが,今日では弁慶ひとりで謡うのが普通となった。ただ観世流では,そのことを明示する意味で番組に〈勧進帳〉と記し,この小書がないときは一同の連吟というきまりにしてある。
執筆者:横道 万里雄(4)歌舞伎狂言。時代物。1幕。歌舞伎十八番の一つ。3世並木五瓶作,4世杵屋(きねや)六三郎作曲,4世西川扇蔵振付。1840年(天保11)3月江戸河原崎座初演。弁慶を5世市川海老蔵(7世団十郎),富樫を2世市川九蔵(後の6世団蔵),義経を8世団十郎。能の《安宅》を基に創作。兄頼朝と不和になった源義経が,京から奥州へ落ちる途中,加賀国(石川県)の安宅の関所を通過する時の一件を脚色。家来5人は山伏姿,義経は強力(ごうりき)(荷物持ち)になって安宅へ来る。山伏は通さないといわれ,覚悟を決め最後の祈りをしていると,奈良東大寺建立のために諸国を回るのであれば,その勧進帳を読めと,関守の富樫が迫る。弁慶は白紙の巻物を勧進帳とみせかけて読み上げる。山伏の心構え,扮装の質問にも的確に答えたので通過を許されるが,強力が義経に似ているとて止められる。とっさに弁慶は主である義経を打擲する。弁慶の苦衷を察した富樫はこれを許す。後で弁慶は義経に非道をわび,義経はその機転をほめる。富樫の持たせた酒を飲みほした弁慶は,延年の舞を舞い,その間に5人を出発させ,やおら後を追う。《義経記》や能などに文芸化された〈安宅の関〉の題材は,歌舞伎や人形浄瑠璃でも多く脚色されており,初世市川団十郎も1702年(元禄15)2月に《星合十二段》の中でこの場面を演じている。7世団十郎が十八番の一つに選定するに当たっては,背景を能舞台に模して松羽目にし,衣装も能装束を使うなど,能の演出法を摂取。明治時代になり,9世団十郎の高尚趣味とも合致し,十八番の代表曲となった。前半の勧進帳を読み上げた後,弁慶と富樫の山伏問答,後半になり非礼をわびる弁慶と義経主従の心情,延年の舞から花道における〈飛び六方〉の引込みなどが見せ場で,観客をあきさせない。伴奏曲の長唄は三味線音楽中の代表的名曲といえ,独立して演奏もされる。柄と口跡と踊りの素養が必要な弁慶は,座頭(ざがしら)の役として大事にされている。
執筆者:鳥越 文蔵
社寺,仏像,鐘や橋梁などの造営・修復のために資財を募ることを記した趣意書。勧化(かんげ)帳ともいう。一般に造営・修復の発願趣旨を述べ,誦経・念仏の功徳,あるいは造寺,造像,造塔,写経,架橋などの作善(さぜん)に参加すれば現世利益や自他の浄土往生が達成されると説き,金品寄進を呼びかける内容となっている。勧進聖(ひじり)はこれを衆庶に読み聞かせたり,閲覧させたり,頒布して一紙半銭の喜捨を求めた。重源(ちようげん)が1181年(養和1)に始めた東大寺大仏殿再建のための勧進文は著名。彼はこの勧進文を一輪車の右に貼り,左には後白河法皇の〈一粒半銭といへども,寸鉄尺木といへども,これを施す者は,世々生々在々所々,必ず妙力に依りて,長く景福を保つ云々〉という詔書を貼り,諸国を歴訪した。勧進帳とは別に,結縁(けちえん)者の名前のみを記した交名帳,寄進者の名前,金品名,数量などを記した奉加帳(寄進帳・祠堂帳)もあり,仏像胎内から発見された例(滋賀県甲賀市の旧信楽町玉桂寺)もある。
執筆者:赤田 光男
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歌舞伎(かぶき)脚本。時代物。1幕。3世並木五瓶(ごへい)作。1840年(天保11)3月、江戸・河原崎座(かわらさきざ)で7世市川団十郎(当時は海老蔵(えびぞう)と改名)の弁慶、2世市川九蔵(くぞう)(後の6世団蔵)の富樫(とがし)、8世団十郎の義経(よしつね)により初演。長唄(ながうた)の作曲は4世杵屋六三郎(きねやろくさぶろう)(後の六翁)、振付けは4世西川扇蔵(せんぞう)。7世団十郎が市川家の家の芸「歌舞伎十八番」制定にあたって、その一つとして初世の演じた題材を借り、能の『安宅(あたか)』の詞章をもとに、能の舞台と演出を写し、長唄を地にした新形式の演劇を創造したもの。いわゆる「松羽目物(まつばめもの)」の先駆である。
富樫左衛門の守る加賀国安宅ノ関を、東大寺勧進の山伏に身をやつした源義経主従が武蔵坊(むさしぼう)弁慶の知略で通過する物語。弁慶が白紙の巻物を勧進帳と称して読み上げ、番卒に見とがめられた義経を金剛杖(こんごうづえ)で打擲(ちょうちゃく)した機転によって虎口(ここう)を脱する。大筋は『安宅』とまったく同じだが、山伏の故実に関する富樫の質問を弁慶が鮮やかに切り抜ける「山伏問答」を講釈から取り入れ、計略のため主君を打ち据える弁慶の苦衷を富樫が察し、情けによって通してやるという構成にしたのが作劇上の特色。能の簡素で典雅な様式に歌舞伎の長所を注入した7世団十郎の意図を、明治期に9世団十郎が改良洗練し、1891年(明治24)の天覧劇でも上演、その後は7世松本幸四郎が生涯に1600回も演じたことで屈指の人気演目になった。内容が判官(ほうがん)びいきの大衆感情をとらえ、総体に健康的でダイナミックな感覚が現代人の好みにあっている。長唄が名曲で、演出も勧進帳読み上げから、山伏問答、富樫の呼び止めで双方詰め寄るあたりの迫力、危機を逃れた主従が感慨にふけるところの哀感、富樫に贈られた酒で快く酔った弁慶の延年の舞、最後に幕外を引っ込む弁慶の飛六方(とびろっぽう)まで、見どころは多い。
[松井俊諭]
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歌舞伎狂言。3世並木五瓶(ごへい)作,4世杵屋六三郎作曲。1840年(天保11)3月江戸河原崎座初演。兄源頼朝と不和になり都をのがれた義経一行は,奥州へ落ちる途中,安宅(あたか)関で関守富樫(とがし)に止められる。弁慶は白紙の巻物を東大寺の勧進帳といって読みあげ通行を許されるが,あとに従っていた義経をみとがめられる。弁慶が義経を杖で打つのをみた富樫は,心を打たれて一行を通す。7世市川団十郎が歌舞伎十八番の一つとして本曲を初演した。原作は能「安宅」で,能舞台を模した大道具・衣装をはじめてとりいれた点でも画期的な曲。9世団十郎が演出を洗練させた。
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
… 梵鐘の功徳を伝える説話は日本にも多いが,鎌倉時代以後,ほとんどの鐘の鋳造は勧進(かんじん)によってなされた。仏像や堂宇の勧進と同様,その趣意書を〈勧進帳〉といい,鋳鐘の功徳を吹聴(ふいちよう)して個人や村ごとの奉加喜捨を仰いだ。しかし室町時代以降,流浪する売僧が鐘勧進を称し,遠国の寺号を名乗って鋳造もしない鐘への勧進を求めることがしばしば行われている。…
…歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。この時期の唄方には天保の三名人といわれる3世芳村伊十郎,岡安喜代八,2世富士田音蔵,三味線方に10代目杵屋六左衛門,4世杵屋六三郎,5世杵屋三郎助(のち11代目杵屋六左衛門,3世勘五郎),2世杵屋勝三郎,囃子方に4世望月太左衛門,6世田中伝左衛門などがいる。…
…たとえば,能の《船弁慶》における後ジテ知盛の亡霊の出には,まず半幕(半分ほどの高さまで巻きあげる)にしてその姿をみせ,〈あら珍しやいかに義経〉と子方を見てからそこでいったん幕をおろし,ふたたび幕の全体をあげて早笛(はやふえ)の囃子(はやし)に乗って一気に走り出る,という演出がしばしば行われる。また歌舞伎には,《勧進帳》の弁慶の飛六方(とびろつぽう)でよく知られるように,いったん,引幕を引いたのち,これをくぐって役者が出て,ふたたび花道から揚幕へ入るという,〈幕外(まくそと)〉の演出があり,これは視覚的には,効果的な一種のクローズ・アップの手法ともいえるが,六方という特異な動作と合わせて考えるとき,それはむしろ,幕を出て幕に入るという〈神話的〉な身ぶりであるといえる。助六の河東節(かとうぶし)に乗ったあの独特な出端(では)にしても,幕を背にして演ずる芸として,同様な視点からとらえることが可能であろう。…
…7世市川団十郎は能の様式にあこがれ,その演出を積極的にとり入れようとした。その具体的なあらわれが《勧進帳》である。松羽目の舞台を用いたのはこのときが最初であり,この作品が後の〈松羽目物〉の原点となった。…
…書状その他の長い文書を読み上げる部分を重点とした曲。木曾義仲の命で大夫房覚明が八幡社へ願書を捧げる《願書》(《木曾願書》とも),文覚(もんがく)が神護寺復興の寄進勧誘状を読み上げる《勧進帳》,源義経が鎌倉入りを拒まれて釈明文を書く《腰越(こしごえ)》など13曲ある。読物は,〈チラシ〉〈下音〉〈上音〉〈ハコビ〉など,一般の平曲とは著しく異なる曲節の小段を含む伝授物だが,伝承が絶えたためにその詳細はわからない。…
…44年(弘化1)ころまで劇場に出勤。《勧進帳》の作調者である。(5)5世(1815‐87∥文化12‐明治20) 4世の長男。…
※「勧進帳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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