五惇堂跡(読み)ごじゆんどうあと

日本歴史地名大系 「五惇堂跡」の解説

五惇堂跡
ごじゆんどうあと

[現在地名]境町伊与久

文化五年(一八〇八)伊勢崎藩領の伊与久いよく村内に、同村の宮崎有成などによって創設された郷学。建物は現存しない。当初は有成などの私塾として発足。教授には有成など村内の者が当たった。伊勢崎藩はこれに対し五惇堂の校名を与え、教科書の下賜、校地の免税、藩校学習がくしゆう(現伊勢崎市)の学者に出張講義を行わせるなどの支援をし、官民協力型の郷学とした。初代学頭の有成は「孝経」の碑を堂側に建て、これを五惇堂教育の根本とすることを志し、その師柴野栗山に図り、題字松平定信、跋文柴野栗山による碑が完成した(伊勢崎風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む