伊与久村(読み)いよくむら

日本歴史地名大系 「伊与久村」の解説

伊与久村
いよくむら

[現在地名]境町伊与久

下淵名しもふちな村の西に位置し、おおむね平坦地の村であるが、緩やかな丘陵低地とが入組む。村の西端部をかす川が南流する。「伊勢崎風土記」には天正(一五七三―九二)前後に、五十久弾正という者が従者六〇人ほどを連れて土着したとある。字蒔初原まきぞめのはらという地があり、同書によると初めて五穀を播いたところという。五十久氏を由良氏家臣とする説がある。「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳では田方二六四石余・畑方五二九石余。近世後期の御改革組合村高帳では伊勢崎藩領、家数二九四。天保二年(一八三一)の伊勢崎領田畑寄(上岡文書)によると、田方二九町五反余・畑方五八町五反余、ほかに新田として田方九反余・畑方九八町六反余で、畑作が主体をなした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む