五月 信子
サツキ ノブコ
- 職業
- 女優
- 本名
- 御手洗 忍
- 旧名・旧姓
- 前川 しのぶ
- 生年月日
- 明治27年 2月13日
- 出身地
- 埼玉県 北足立郡浦和町(さいたま市)
- 学歴
- 浦和高女卒
- 経歴
- 大正4年新日本劇東京座公演で初舞台。5年佐藤紅緑の日本座に参加。7年松竹合名社で新派女優幹部。国際新劇団等を経て10年松竹蒲田入社。帰山教正監督「愛の骸」で映画デビュー。以後栗島すみ子、川田芳子らと共演、初期蒲田3大人気女優として諸口十九、勝見庸太郎とのコンビで活躍。12年大震災で京都下加茂に移り、13年蒲田に帰り「嬰児殺し」で主演。同年11月帝キネ転社。分裂後東邦映画に入り、解散後14年7月夫の高橋義信と近代座を結成、舞台活動に専念。昭和3年マキノプロ御室と提携、マキノ正博「毒草」「鬼神」に主演、毒婦役第一人者となった。5年以後地方を巡業、高橋と離婚後9年五月信子一座を結成、19年近代座と改称、空襲で解散、引退。戦後カトリック入信、マリア御手洗の洗礼名で活躍した。
- 没年月日
- 昭和34年 7月21日 (1959年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
五月 信子
サツキ ノブコ
大正・昭和期の女優
- 生年
- 明治27(1894)年2月13日
- 没年
- 昭和34(1959)年7月21日
- 出身地
- 埼玉県北足立郡浦和町(現・浦和市)
- 本名
- 御手洗 忍
- 旧姓(旧名)
- 前川 しのぶ
- 学歴〔年〕
- 埼玉県立浦和高等女学校卒
- 経歴
- 大正4年新日本劇東京座公演で初舞台。5年佐藤紅緑の日本座に参加。7年松竹合名社で新派女優幹部。国際新劇団等を経て10年松竹蒲田入社。帰山教正監督「愛の骸」で映画デビュー。以後栗島すみ子、川田芳子らと共演、初期蒲田3大人気女優として諸口十九、勝見庸太郎とのコンビで活躍。12年大震災で京都下加茂に移り、13年蒲田に帰り「嬰児殺し」で主演。同年11月帝キネ転社。分裂後東邦映画に入り、解散後14年7月夫の高橋義信と近代座を結成、舞台活動に専念。昭和3年マキノプロ御室と提携、マキノ正博「毒草」「鬼神」に主演、毒婦役第一人者となった。5年以後地方を巡業、高橋と離婚後9年五月信子一座を結成、19年近代座と改称、空襲で解散、引退。戦後カトリック入信、マリア御手洗の洗礼名で活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
五月信子 さつき-のぶこ
1894-1959 大正-昭和時代の女優。
明治27年2月13日生まれ。大正10年松竹蒲田撮影所から「愛の骸(むくろ)」で映画デビュー。「高橋お伝」「毒華」などに毒婦役で出演し,人気をえる。14年以降近代座,五月信子一座で舞台をつとめた。昭和34年7月21日死去。65歳。埼玉県出身。浦和高女卒。本名は前川しのぶ。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の五月信子の言及
【スター】より
… 日本映画のスター・システムは初期の松竹蒲田映画とともに始まる。日本映画のスター第1号として知られる女優・栗島すみ子は,第1回主演作《虞美人草》(1921)以来すばらしい人気で,川田芳子,五月信子とともに初期蒲田の三大女優時代をつくった。この三大女優を一堂に集めた《母》(1924)が1924年大阪道頓堀に新築された当時東洋一の映画劇場〈松竹座〉で公開されたときに主演者たちが出席することになったが,そのとき,大阪駅に出迎えた人波は空前のことだといわれ,〈日本におけるスター・システム勃興期の記念すべき出来事〉になった(筈見恒夫《映画百年史》)。…
【日本映画】より
…あと二つは,〈蒲田調〉と呼ばれる作風の松竹映画と,これに対して〈日活調〉と呼ぶことのできる日活映画であり,ともに現代劇が中心になっている。 松竹の蒲田撮影所からは,《虞美人草》(1921)で人気スターになった栗島すみ子につづいて,川田芳子,五月信子らの人気女優が続出し,日本映画における〈スター・システム〉誕生の転機となったことで知られる栗島・川田・五月共演の《母》(1923。野村芳亭監督)を一つの頂点とするメロドラマが多くつくられた。…
※「五月信子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」