新生児を殺害すること。嬰児殺(さつ)ともいう。
刑法上では,とくに出産中または出産の直後に母親が嬰児を殺害する場合をいう。この場合も殺人罪の一類型であるが,女性犯罪の典型といわれ,妊娠・出産に至る事情(たとえば,不倫な関係から生じた子や私生児など),出産時の精神状態などを考慮して,一般の殺人罪と区別して,比較的軽い刑を特別に規定している国が多い(フランス,ドイツ,オーストリアなど)。ただし,いずれの場合も減軽の対象は母親のみであり,それ以外の者の行為は通常の殺人罪となる。このうち,ドイツ刑法は明文で嬰児が私生児であることを要件としている。日本の刑法典には嬰児殺しの規定はなく,一般的な殺人罪の規定(刑法199条)の枠内で情状として考慮されるにすぎないが,現実には,執行猶予の付される例が多い。出生の前であったか後であったかにより,堕胎罪との限界が法律上および事実上問題となる。
執筆者:西田 典之
嬰児の解剖をはじめ,法医学的調査に求められるのは,発育程度,生死産の別,生産児なら生まれてからの生存期間等の判断である。(1)発育程度 発育の程度は出産の難易度,生活能力の有無などの判断資料となり,身長,体重のほか新生児では頭の大きさ,胸囲,肩幅,毛髪やつめの長さ,毳毛(ぜいもう)(生毛)の発生状態,胎垢の付着状態,外陰部の状態,大腿骨下端や踵骨の化骨核の大きさ,頭蓋骨の大きさ,臍帯の長さ,胎盤重量などによって推定される。体格が大きくても胎生日数が短いと肺の発達が悪く生活能力は弱い。したがって,各種計測値だけでは生活能力は判断しがたい。(2)生死産の別 殺人罪か堕胎罪かの判断を下すうえで重要である。刑法上では胎児が生きた状態で母体外へ一部露出した時点をもって,民法上は全部露出した時点をもって〈人〉とみなしている。呼吸したか否かは肺浮揚試験(肺内に空気が入っていると水に浮くことを利用した試験),胃腸浮揚試験(胃腸内に空気を嚥下しているか否かの検査)によって判定するが,第1呼吸をする前に殺害されたり,便壺内へ産み落とされたときのように第1呼吸時異物を吸引した場合は生産児でも肺浮揚試験は陰性となり,一方,腐敗が著しかったり,人工呼吸で空気を強制的に送りこんだり,肺が凍結している場合は未呼吸児でも陽性となる。(3)生後の生存期間 期間の長短により判断資料は異なる。生後数時間ぐらいまではもっぱら肺および胃腸浮揚試験の結果に基づいて推定する。その他の検査では,生後1週間ぐらいまでは大腸からの胎便の排出状態,産瘤腫の消失状態,新生児黄疸の程度,臍帯脱落の有無や,アランティウス静脈管,ボタロ動脈管の閉塞状態などで判断する。生後2週間以上経過している場合には小児成長表に従い,身長,体重などを参考に判断する。なお,殺された嬰児は,便壺内,コインロッカー,河川などに遺棄されたり,缶などに入れて隠されていることが多い。そのため発見が遅れ腐敗していることも少なくない。
執筆者:若杉 長英
近代的法治国家においては〈嬰児殺し〉は犯罪として罰せられるが,人類社会を時間的にも空間的にもくまなく眺望すると,それが容認される社会は決して珍しくない。許されるばかりか,義務づけられる場合さえある。しかしながら,子どもは社会にとってはその存続のために必要な次代の交代要員であり,親にとっては深い絆で結ばれた愛情の対象でもある。したがって,嬰児殺しの実行に際しては,そうせざるをえない特別の要因やそれを正当化する理由付けを,嬰児自身やそれを取り巻く環境の中に見いだすことができる。特定の条件を有する嬰児が殺される場合,最も多いのは不具児の殺害である。ヨーロッパでは古代ギリシア以来,それを記録する文献が見られる。近代においても,たとえばポーランドの田舎では少なくとも19世紀までは,親は不具の子を殺す権利をもつと考えられていた。アフリカのサンは過酷な自然の中では生きていけないという信念で,身体に欠陥のある子を殺した。現代医学的には肉体的障害が認められなくても,出生時に歯のある子,逆子,双子等は異常児として殺害されることがあった。婚外の関係から生まれた子が殺されるケースも多い。恥意識が最大の動機となることもあるが,養育責任者の不在が殺害を余儀なくしていると解釈できるものもある。産褥(さんじよく)死した母親とともに新生児が生埋めにされる風習は世界各地に存在したが,これは,上の子が離乳する前に生まれた子が殺される場合と同様,嬰児の生存が母親の養育に大きく依存するためと考えられる。以上のような条件下の嬰児殺しは,その子の生存が社会に災いをもたらす等の理由で,強制されることが少なくない。
嬰児殺しの行われる社会的条件としては,人口圧が高く,食料が不足がちであることがまず挙げられる。一般に生存条件の厳しい社会に嬰児殺しが多いと言われる。女児殺しが男児殺しに比べて多いという世界的傾向は,女性数のコントロールによって人口調整が行われるためと説明される。しかし,嬰児殺しは生態学的要因においてのみとらえることはできない。父系社会のインドや中国では男児の誕生が望まれ,女児殺しの割合がとくに高い。また,男子は将来,婚資(花嫁代償)を支払わねばならないからと,男児殺しが多く行われる社会が北米インディアンの中には存在する。一方,宗教上の犠牲として嬰児が殺されることもある。アステカ族は雨と水の神をなだめるため,母親から乳飲子を買い取り,捧げたという。身体的および社会的保護と養育がなくては生存しえない嬰児は,人間社会のひずみを最も受けやすい弱い存在である。だが,嬰児殺しが無制限に許される社会はない。多くの社会では生後まもなく,新生児の誕生を社会的に認める通過儀礼が行われる。そしていったん,自分の子として,あるいは社会の新成員として認めた以上,親も周囲のおとなたちも子どもを育て上げる責任を担わねばならないのである。
→捨子(すてご) →溺女 →人柱 →間引き
執筆者:横山 広子
動物界,少なくとも哺乳類では同種内の個体間で殺し合うことはその種にとって不利益であり,そのような行動様式が進化の中で残ってきたはずがないというのが,動物行動学の常識であった。特殊な一事例でなく地域の個体群全体に広く種内子殺しの存在することが正確に観察・記録されたのは,1962年インド亜大陸に生息する野生のハヌマンラングールというサルの1種においてであった。この報告はしばらくの間特殊環境における異常行動の例として軽視されてきたが,70年代に入って他地域のハヌマンラングールでも追認され,さらに東アフリカのライオンでも確認されるに及んで,生物進化における意義も問われるようになった。今日では上記のほかに,ハヌマンラングールに近縁のセイロン島生息のカオムラサキラングール,東アフリカのチンパンジー,マウンテンゴリラ,アカオザル,ベネズエラのアカホエザル,カリフォルニアのジリスの1種Spermophilus beldingiなどで大量の種内子殺しが確認されている。大部分の例ではよそ者の雄が定住雄を追い出して群れを奪取したり,順位を逆転させて優位雄を追い払った後に,新しい優位雄によって子殺しが行われ,子を失った雌の発情,殺した雄との交尾,出産が続く。すなわち力の誇示とともに性欲を充足させ,自分の子孫をより多く残そうとする雄の生き方として機能している。ところが先のジリスでは雌や若雄も餌として他者の子を捕殺する。チンパンジーでも雄による示威のほかに,雌による餌としての子殺しが知られている。しかし大量に起こるすべての例において,高生息密度が個体間の競争を激化させ,子殺しの発生頻度を高め,そして生息密度の上昇を抑える効果を果たしている。
執筆者:杉山 幸丸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
誕生直後に赤ん坊を殺すことであるが、通常、親か親と直接に関係のある者によって殺害がなされた場合をさす。嬰児殺しはあらゆる時代を通じ、また「未開」と「文明」を問わず存在する現象であるが、「未開」の場合はその文化のなかで認められた行為であるのに対し、文明社会においては犯罪として扱われることが多い。嬰児殺しの理由を推し測ることはむずかしいが、次のように大きく三つに分けることができよう。(1)食糧不足、厳しい風土などの環境上の問題、(2)双生児の一方か両方を殺すことにみられる象徴的・認識的問題、(3)子供の形態異常や親の心身の不安定などの親か子に原因がある場合、である。
人類学的に有名な例としては、エスキモーの女児殺し、インドのトダ人の女児殺しがあり、いずれもそれらの社会の生態系や婚姻システムと密接に関連しているとされる。また双生児は、人間の子は本来1人ずつ生まれるという前提を混乱させるものであり、その認識上の問題を解決するために嬰児殺しが行われると考えられる。文明社会における嬰児殺しは、親子心中や虐待、死体遺棄として取り上げられ、処罰の対象とされているが、いわゆる未開社会においても、近代社会の考え方が入り込むにつれ、嬰児殺しは罪と意識されるようになってきている。
[松岡悦子]
刑法上は嬰児殺(えいじさつ)といい、分娩(ぶんべん)中または分娩直後の新生児を殺害すること。嬰児殺に関する立法例には、古くは、嬰児殺が無抵抗の嬰児を殺害するものであるから重く処罰されるべきであるという考え方(カロリナ法典)があったが、今日ではむしろ逆に、嬰児殺を普通の殺人と区別して、これを軽く処罰する例が多い。その理由には、出産時における母親の特殊な精神状態のもとで犯されることが多いことや、非嫡出子出産により名誉が傷つけられることを防ぐために犯される場合があること、などがあげられている。
諸外国の刑法には嬰児殺の規定を設けているところが多いが、日本の刑法は嬰児殺と普通殺とを区別していない。したがって、嬰児殺しは、「出生」の前・後により、出生前であれば堕胎罪(刑法212条以下)、出生後であれば殺人罪(刑法199条)が成立することになる。なお、「出生」の時期については争いがあり、陣痛説、一部露出説、全部露出説、独立呼吸説などがあるが、一部露出説とよばれる通説・判例の立場によれば、嬰児殺のうち、嬰児が完全に母体内にある場合には堕胎罪にとどまるが、母体外に一部でも露出した嬰児を殺害する場合は殺人罪になる(なお、嬰児殺の規定を設けている国では、嬰児について陣痛説が一般的に採用される)。ただし、日本では、殺人罪には幅広い法定刑が規定されているから、嬰児殺が殺人罪にあたる場合にも、先に述べたような同情すべき事情が認められるならば、その情状を考慮して刑を量定すればよいであろう。
[名和鐵郎]
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…在学中から野外劇を催したり,第3次《新思潮》に戯曲を発表するなど演劇に関心を持つ。やがて《嬰児(えいじ)殺し》《生命の冠》(1920)などの戯曲を発表する。これらは社会の不合理を批判し人間の尊厳を訴えたものである。…
…強盗殺人罪(240条)のほか,爆発物取締罰則1条,〈暴力行為等処罰ニ関スル法律〉3条,〈決闘罪ニ関スル件〉3条,〈人質による強要行為等の処罰に関する法律〉3条,破壊活動防止法4条,39条等に特則がある。外国立法例には殺人を謀殺と故殺とに区別し,さらに客体,方法等で尊属殺,嬰児殺しや毒殺等をも区別して,それぞれに応じた法定刑の加減等をしているものも多いが,日本の刑法は,尊属殺を除いて,このような区別を原則としてせず,きわめて幅の広い法定刑を定め,裁判官の裁量によって対応することとしている。 殺人罪は人の生命を保護法益とする罪で,最も古くからその犯罪性を異論なく認められてきたものであるが,医学的・技術的進歩等に伴い,その外延は必ずしも明らかではなくなってきている。…
…中世初期のヨーロッパ社会でサビナJuniperus sabina(ヒノキ科)が堕胎薬として乱用されたことや,江戸時代の日本で多くの堕胎専門医が活躍し,種々の堕胎薬が売られたのは,口減らしの目的もさることながら,前者はとくに宗教倫理のうえから,後者は家制度の発達とそれに伴う社会倫理のうえから,私生児の存在を否定したことと関連している。 子を得ないための方法には,大きく分けて避妊,堕胎,嬰児殺し(間引き)の三つがある。これらの間にどのような違いを認めるのか,またその結果としてどの方法を選択するのかは,性交,妊娠,出産,胎児,新生児に対して,その社会のもつ道徳的あるいは生理的な認識に左右され,またそれぞれの社会,階層の経済状態に大きく影響される。…
※「嬰児殺し」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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