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高橋お伝 たかはしおでん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高橋お伝
たかはしおでん

[生]嘉永5(1852)
[没]1879
幕末~明治初期,上野国利根郡下牧村 (群馬県みなかみ町) の高橋九右衛門の養女。慶応3 (1867) 年,九右衛門は高橋波之助を婿養子にしたが,お伝はハンセン病にかかった夫を毒殺,その後,浅草蔵前の宿屋で古着商の後藤吉蔵をかみそりで殺害して金を盗み,まもなく捕えられて市ヶ谷監獄内の刑場で斬首された。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

たかはし‐おでん【高橋お伝】

[1851~1879]夫殺しその他の悪事を重ね、明治初期に処刑された女性。群馬の生まれ。その行状は仮名垣魯文「高橋阿伝夜叉譚(やしゃものがたり)」、河竹黙阿弥「綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)」などに脚色された。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高橋お伝 たかはし-おでん

1850-1879 明治時代の女性。
嘉永(かえい)3年生まれ。明治9年東京浅草で古着商を殺害して捕らえられ,12年1月31日斬首(ざんしゅ)刑に処される。30歳。刑死後仮名垣魯文(かながき-ろぶん)の「高橋阿伝夜叉譚(やしゃものがたり)」をはじめ,歌舞伎,読み物,小説にとりあげられ,人殺しをかさねた希代の毒婦とされた。上野(こうずけ)(群馬県)出身。本名はでん。
【格言など】しばらくも望みなき世にあらむより渡しいそげや三途の河守(辞世,墓碑銘)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

高橋お伝

没年:明治12.1.31(1879)
生年:嘉永3(1850)
明治時代の犯罪者。仮名垣魯文の『高橋阿伝夜叉物語』,河竹黙阿弥の「綴合於伝仮名書」などに希代の“毒婦”として喧伝された。上野国利根郡(群馬県)生まれ。父は高橋勘左衛門。実父は上州沼田の領主である田沼玄蕃頭の重臣広瀬半左衛門といわれる。伯父の高橋九右衛門の養女となり,14歳で宮下要次郎を婿に迎えたが,2年で離婚。慶応2(1866)年高橋波之助を婿養子に迎えた。明治2(1869)年波之助がハンセン病にかかり,看病のため借金に追われて横浜に移ったが,同年死別。生糸商の小沢伊兵衛に囲われて東京神田仲町に住んだ。まもなく小川市太郎と相愛になり,麹町で同棲したが,生活に追われ房総(千葉県)館山の船頭田中甚三郎から10円借りた。だが返すめどがなく,古着屋の後藤吉蔵に借金を頼み,同9年8月29日蔵前の丸竹旅館に連れ込んで殺害し金品を強奪。犯行後14日目に逮捕されたが,殺意を否認。吉蔵は姉の敵と主張したが却下され,市ケ谷監獄で斬首刑にされた。<参考文献>篠田鉱造『明治開花綺談』,綿谷雪『近世悪女奇聞』

(関井光男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たかはしおでん【高橋お伝】

?‐1879(明治12)
明治期の代表的毒婦とされる人物。上州利根郡下牧村生れ,父は旧沼田藩家老広瀬半右衛門(口供書)とも信州無宿の博徒鬼神の清吉ともいわれる。1872年,従兄で夫の波之助とともに上京,浅草蔵前の旅宿で古着商後藤吉蔵を刺殺した嫌疑により76年逮捕された。このとき29歳であったともいう。お伝は吉蔵殺しを異母姉おかねの復讐と主張したが,東京裁判所は色じかけの殺人強盗として市ヶ谷刑場で斬首刑に処した。刑死4ヵ月後の5月新富座で《綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)》(河竹黙阿弥作)として劇化上演,お伝に5世尾上菊五郎が扮した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

たかはしおでん【高橋お伝】

1850?~1879) 上州の人。夫を毒殺し、悪事を重ねて処刑された。稀代の毒婦とされ、これを題材としたものに仮名垣魯文の「高橋阿伝夜叉譚やしやものがたり」、河竹黙阿弥作の歌舞伎「綴合於伝仮名文つづりあわすおでんのかなぶみ」がある。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高橋お伝
たかはしおでん
(1851―1879)

明治の初め殺人罪で処刑され、希代の毒婦・妖婦(ようふ)と評判された女性。嘉永(かえい)4年上野(こうずけ)国(群馬県)利根(とね)郡下牧(しももく)村の生まれ。郷里で結婚したが、夫とともに出奔。窮乏のすえとも、夫が癩病(らいびょう)にかかったためともいう。夫の死(お伝の毒殺説がある)後、東京に出て、御家人(ごけにん)くずれの男を情夫にもつ。かたわら身を売って生活の糧(かて)とするが、不義理な借金がかさむばかりで、古着商後藤吉蔵を金目当てで浅草蔵前(くらまえ)の宿屋へ連れ込み、用意の剃刀(かみそり)で喉(のど)を切り殺害する。1876年(明治9)8月のことである。数日後、情夫といるところを逮捕され、2年余りにわたる裁判のすえ、市谷(いちがや)監獄で斬首(ざんしゅ)の刑に処せられた。処刑の翌月には、その評判を当て込んで仮名垣魯文(かながきろぶん)が戯作(げさく)『高橋阿伝夜刃譚(おでんやしゃものがたり)』を書いている。[稲垣史生]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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