日本歴史地名大系 「五条院跡」の解説 五条院跡ごじよういんあと 京都市:下京区郁文学区今大黒町五条院跡「百錬抄」康元元年(一二五六)七月三日条に「被行太上皇大宮殿御移徙御幸召仰事、上皇御移徙五条大宮新造御所也」とあり、五条大宮にあったことから、五条殿(ごじようどの)、大宮殿(おおみやどの)ともよばれた。「帝王編年記」弘長元年(一二六一)一月八日条に「五条北、大宮東、南北二町、東西一町」とあるから、その場所は現今大黒(いまだいこく)町・杉蛭子(すぎえびす)町・十文字(じゆうもんじ)町の全域と、西田(にしだ)町・槌屋(つちや)町・高辻猪熊(たかつじいのくま)町・来迎堂(らいこうどう)町・高辻大宮(たかつじおおみや)町・五坊大宮(ごぼうおおみや)町の各一部にあたる。正元元年(一二五九)八月二二日には後深草天皇が行幸。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by