富小路殿(読み)トミノコウジドノ

デジタル大辞泉 「富小路殿」の意味・読み・例文・類語

とみのこうじ‐どの〔とみのこうぢ‐〕【富小路殿】

京都市中京区、冷泉れいぜい小路の南、富小路の東にあった中世邸宅および里内裏さとだいりの名。もと西園寺実氏の邸で、後堀河上皇御所となり、花園天皇拡張持明院統歴代の御所となった。のち、後醍醐天皇皇居。延元元年=建武3年(1336)焼亡冷泉富小路殿

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「富小路殿」の意味・読み・例文・類語

とみのこうじ‐どのとみのこうぢ‥【富小路殿】

  1. 中世の平安京の邸宅、また、里内裏の名。富小路(現在の麩屋町通)の東にあった。はじめ西園寺実氏の邸で、貞永元年(一二三二)後堀河上皇の仙洞となり、宝治三年(一二四九)後深草天皇の里内裏となって以来、多く持明院統が御所とした。花園天皇のとき、大内裏の制にならって拡張し、文保元年(一三一七竣工、二条富小路内裏と称した。後醍醐天皇もこれを皇居とし、建武中興には政府の諸機関が周辺に集まってにぎわったが、延元元年(一三三六)焼亡した。

富小路殿の補助注記

「拾芥抄‐東京図」には、富小路の東、二条の北の一町を富小路殿としているが、「花園院宸記‐文保元年四月一九日」には「今日新造内裏〈富小路西二条北〉遷幸也」とある。内裏新造にあたって、西へ一町拡げたものか。また、二条の南にも同じ名の邸があったらしい。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の富小路殿の言及

【里内裏】より

…鳥羽,崇徳,近衛3代の皇居となった土御門烏丸殿はその早い例であるが,さらに鎌倉時代に入って,幕府により造営された閑院は,紫宸殿・清涼殿をはじめ,平安内裏の後宮諸殿舎を除く表向殿舎の規模が本格的に取り入れられ,後鳥羽天皇以後8代の本所的皇居とされた。その間,後堀河天皇の1227年(安貞1)大内が焼亡廃絶したため,閑院は平安内裏に取って代わる皇居となったが,その閑院も後深草天皇の1259年(正元1)に焼失した後は再建されず,当時の持明院・大覚寺両皇統対立の情勢を反映して,前者は富小路殿を,後者は万里小路殿・二条殿を主要な皇居とした。しかし閑院再建の望みは消滅せず,ようやく1317年(文保1)幕府の資力により閑院内裏を模して富小路殿が新造され,花園,後醍醐2代の皇居となった。…

※「富小路殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android