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富小路殿 トミノコウジドノ

2件 の用語解説(富小路殿の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

とみのこうじ‐どの〔とみのこうぢ‐〕【富小路殿】

京都市中京区、冷泉(れいぜい)小路の南、富小路の東にあった中世の邸宅および里内裏(さとだいり)の名。もと西園寺実氏の邸で、後堀河上皇の御所となり、花園天皇が拡張、持明院統歴代の御所となった。のち、後醍醐天皇の皇居。延元元年=建武3年(1336)焼亡。冷泉富小路殿

出典|小学館
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大辞林 第三版の解説

とみのこうじどの【富小路殿】

鎌倉時代における天皇家の居所の一。もとは西園寺実氏の第で、二条大路の南に位置していた。後堀河天皇譲位後、その仙洞に選ばれて以降、持明院統の諸帝の里内裏あるいは仙洞となる。1336年兵火により焼失。冷泉れいぜい富小路殿。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の富小路殿の言及

【里内裏】より

…鳥羽,崇徳,近衛3代の皇居となった土御門烏丸殿はその早い例であるが,さらに鎌倉時代に入って,幕府により造営された閑院は,紫宸殿・清涼殿をはじめ,平安内裏の後宮諸殿舎を除く表向殿舎の規模が本格的に取り入れられ,後鳥羽天皇以後8代の本所的皇居とされた。その間,後堀河天皇の1227年(安貞1)大内が焼亡廃絶したため,閑院は平安内裏に取って代わる皇居となったが,その閑院も後深草天皇の1259年(正元1)に焼失した後は再建されず,当時の持明院・大覚寺両皇統対立の情勢を反映して,前者は富小路殿を,後者は万里小路殿・二条殿を主要な皇居とした。しかし閑院再建の望みは消滅せず,ようやく1317年(文保1)幕府の資力により閑院内裏を模して富小路殿が新造され,花園,後醍醐2代の皇居となった。…

※「富小路殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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