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井上義斐 いのうえ よしあや

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上義斐 いのうえ-よしあや

1816-? 幕末の武士。
文化13年生まれ。幕臣。目付をへて,慶応元年大坂町奉行となる。条約勅許と兵庫開港を要求して兵庫沖に来航した四国連合艦隊の代表と折衝。若年寄立花種恭(たねゆき)に随行して英艦内で公使パークスと会談,条約勅許のあかしをもとめられ,血判で保証すると返答し,恐怖した各国代表にとめられた。のち勘定奉行をかね,2年外国奉行に転じ,3年作事奉行,留守居(るすい)に就任。本姓は木村。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

井上義斐

生年:生没年不詳
幕末の幕臣。安政3(1856)年箱館奉行支配組頭に任じられ,元治1(1864)年目付に昇進。翌慶応1(1865)年5月第2次長州征討に将軍徳川家茂に従い上洛,7月大坂町奉行に就任。9月,兵庫沖に英・米・仏・蘭の4国連合艦隊が現れ,武力を背景に下関事件の償金300万ドルの3分の2の放棄と引き換えに条約勅許と兵庫の即時開港を迫ったのに対し,義斐は自らフランス艦キンシャン,イギリス旗艦プリンセスロイヤルに赴き各国と交渉を重ねた。若年寄立花種恭が,条約勅許の保証を求められ窮した際に,パークスら各国代表に自分のくすり指を切り血判を押して約すると威嚇し,同意を得た。10月勘定奉行に転じ,その後,外国奉行,作事奉行,留守居を歴任して,明治1(1868)年4月辞任。<参考文献>『維新史』4巻

(岩壁義光)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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