( 1 )「日葡辞書」には、ケッパン、ケツバン、チバンの三種があげられている。ケツバンがケッパンと変化したと思われるが、並用されていたようである。
( 2 )近世には、庶民の間にも広がり、遊女の起請文にも用いられた。
自己の誠意を強調し,誓約の固さを示すために,署判のうえ,またはかたわらにみずからの血を付着させること。起請文にとくにその例が多いが,願文などにもみられる。また,類似の方法に血書があるが,これは,血液を墨・朱にまぜたりして,それで花押を書いたり,文章そのものを書くものである。
血判は早い例では南北朝時代から知られ,たとえば1338年(延元3・暦応1)の菊池武重起請文などにみられるが,一般には戦国時代とくに盛んになる。戦国大名どうしの盟約の場合は,相手の使者の眼前で起請文を書き,血判をすえることが多かったようである。さらに江戸時代にはいると,将軍の代替りのときや新たに役職についたときなど,広く武士社会で起請文に血判をすえる風習が行われ,これはやがて遊里で遊女が客に与える起請文のように,庶民の間にも広がっていった。それにともなって,男は左手,女は右手でとか,無名指(薬指)のつめの生えぎわを小刀や針でついて血を出すとか,紙におしつけるのは禁物で,したたらせるとか,それと逆に,左手の血を右手の薬指にうけて判の穴の白い所におすなどという作法も確立していく。
《甲子夜話(かつしやわ)》には,小刀で指を刺すのは傷のぐあいも悪く,血判も鮮やかでないので,太い針を用意して,さらに血止めの膏薬も懐中にあらかじめ忍ばせておくとよい,などといった先人の教訓が載せられており,すでに血判が形式化していたことが知られる。
執筆者:千々和 到
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自己の誠意を強調し、誓約の固さを表明するために、署判の上に自らの身血を付着させること。起請文(きしょうもん)にもっとも例が多いが、願文(がんもん)にも例があり、また、類似のものに、血液を墨・朱に混ぜたもので花押(かおう)を書いたり文章そのものを書く血書という方法もある。血判は早い例では南北朝時代の1338年(延元3・暦応1)菊池武重(たけしげ)起請文などにみられるが、戦国時代以降、とくに多く用いられるようになり、江戸時代には家臣が主君に出す起請文や、遊里の男女の間で取り交わされる起請文にも行われるようになった。近世には、男は左手、女は右手の指の血を垂らすのが作法とされていた。
[千々和到]
『荻野三七彦著『日本中世古文書の研究』(1964・荻野三七彦博士還暦記念論文集刊行会)』▽『『キリシタン信仰と習俗』(『岡田章雄著作集1』1983・思文閣出版)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中世ヨーロッパには,殺人者が近寄ると死体から再び血が流れるという迷信が広くあり,ハンセン病(癩病)の治療に人血が有効とする考えもドイツなどに根強く残っていた。日本の血書や血判も,血がその人を代表するとみる観念に裏づけられている。血が流れて草花や土を染めた,という類の伝説は世界各地にあり,たとえば南方熊楠《十二支考》の〈虎〉の項に詳しい。…
※「血判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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