井出の沢(読み)いでのさわ

日本歴史地名大系 「井出の沢」の解説

井出の沢
いでのさわ

[現在地名]町田市本町田

本町田ほんまちだのうち、鎌倉街道西側の底湿地。豊富な清水は恩田おんだ川の水源地の一つで、鎌倉末期の明空の「宴曲抄」に「井手の沢」とあり、鎌倉街道の格好の休憩地であった。地内より文保二年(一三一八)一〇月銘の阿弥陀三尊種子板碑が出土している。建武二年(一三三五)七月北条時行が信濃国で挙兵、この中先代の乱では武蔵国女影おなかげ(現埼玉県日高市)府中敗北を喫した足利軍は足利直義自ら出陣し、「井出沢辺ニ於テ終日合戦」し(梅松論)、味方に多数の戦死者を出し、東海道を三河国まで敗走した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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