本町田村(読み)ほんまちだむら

日本歴史地名大系 「本町田村」の解説

本町田村
ほんまちだむら

[現在地名]町田市本町田・玉川学園たまがわがくえん一―七丁目・中町なかまち二―四丁目・旭町あさひまち一―三丁目

現市域の中ほどにある。東は金井かない村、東から南にかけて大谷おおや村、南は原町田はらまちだ村に接する。鶴間大ヶ谷戸つるまおおがやとに入った鎌倉街道は二手に分れるが、両道は当地で再び合流する。宿しゆく井出の沢いでのさわ古戦場付近が中心で、交通の要衝として早くから開発され、建治二年(一二七六)五月銘の阿弥陀種子板碑をはじめ、養運よううん寺・宏善こうぜん寺境内や旧家に多数の板碑が伝存する。北条氏所領役帳の他国衆小山田弥三郎の知行分に「拾弐貫六百四十七文 町田」と記される。同一二年武田信玄が小田原遠征の際に軍勢を二手に分け、一手は八王子口より町田にかかる道筋を追捕している(北条記)。町田・もり(森野)木曾きその間に相之あいの原という草刈場があったが、天正一〇年(一五八二)同野を開発して町田村から原町田村が分立し、もとの町田は本町田村とした。その背景に、本町田の人居が増加したものの谷間の入口で拡張が困難という立地条件があったが、原町田の新住民は田地を捨て置いて移住したのであるから、従来本町田で開催していた六斎市の権利を確保した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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