日本歴史地名大系 「井家庄」の解説
井家庄
いのいえのしよう
- 石川県:河北郡
- 井家庄
井上庄とも書く。北は
〔伝領〕
建久元年(一一九〇)五月一三日の源頼朝御教書(「吾妻鏡」同月一二日条)に、井家庄地頭都幡小三郎隆家が所務を押領したと後白河法皇より告発され、幕府の譴責をうけているのが初見。元久二年(一二〇五)六月五日の関東下知状(尊経閣文庫所蔵文書)で同庄地頭代官の自由狼藉を停められているが、このときの地頭は未詳。「白山宮荘厳講中記録」の安貞二年(一二二八)の本宮臨時祭次第に井家庄上総公子息犬子殿がみえる。当庄は建久二年一〇月の長講堂所領注文(島田文書)にみえるように、後白河院領の一つとして長講堂領に編入されていた。当庄は宣陽門院の異父兄(母は丹後局)にあたる平業兼(尋蓮)が相伝していた所領で、先に
前掲業光・光蓮連署譲状案によれば、当時の「ゐのいゑの御庄」は南方・北条・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報