井永村(読み)いながむら

日本歴史地名大系 「井永村」の解説

井永村
いながむら

[現在地名]上下町井永

上下村の南に位置し、矢多田やただ川が東北から西南へ流れる。東南の佐倉さくら村から流れ出る支流が合する辺りの北東部に平野が開け、集落が点在する。文禄三年(一五九四)九月三日付の林志摩守元善に対する毛利輝元知行宛行状(「閥閲録」所収林平八家文書)に「伊永村百三拾八石八斗」とある。備後国知行帳には「猪永村」と記されるが、その石高には南東部の水永みずなが村が含まれていたらしい。

元禄一一年(一六九八)福山藩領より幕府領となり、享保二年(一七一七)以降は豊前国中津藩領。寛政五年(一七九三)頃の当御領分明細帳(小掛敦祥氏蔵)によれば、総田畠四六町六反一畝で高四〇七石八斗三升余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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