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祭文 さいぶん Ji-wen

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

祭文
さいぶん
Ji-wen

中国,文体の一種。死者の葬祭にあたって,その思い出を綴りつつ,哀悼の意を表わすもの。また,天地の神祇を祭るときに誦するもの。六朝時代以降,押韻するのが通常で,4字句,6字句を基調とするものが多いが,唐に入って古文運動が興ってから,韓愈の『十二郎を祭る文』など,純粋の散文でもつくられるようになった。

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祭文
さいもん

門付芸 (かどづけげい) の一種。もとは神祀の曲詞をさしたが,中世以後,山伏が法螺貝や錫杖に合せて語り歩いた山伏祭文 (もじり祭文) にいたって門付芸となった。江戸時代には,三味線に合せ,『お染久松』『八百屋お七』のような恋愛,心中などのニュース種を語る歌祭文が流行したが,そのなかから説経節と結んだ説経祭文,地方の盆踊りに入った祭文音頭,浪花節の祖となった「でろれん祭文」などが出てきた。

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デジタル大辞泉の解説

さい‐ぶん【祭文】

さいもん(祭文)

さい‐もん【祭文】

祭りの際に、神にささげる祝詞(のりと)。中世以降、山伏修験者によって芸能化され、近世には、門付け芸に移っていった。さいぶん。
歌祭文(うたざいもん)のこと。
祭文語り」の略。→歌祭文説経祭文

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百科事典マイペディアの解説

祭文【さいもん】

宗教的な儀式において,神仏に向かって読み上げる言葉。歌謡の一種。音楽的に作曲されていることもある。後には世俗的・娯楽的な内容の祭文が作られ,修験(しゅげん)僧,あるいは下層芸能民の中にこれを職とする者が出るようになった。
→関連項目門付紀伊の国

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世界大百科事典 第2版の解説

さいぶん【祭文 jì wén】

中国,漢文の文体の一種。祭時に誦される文章で,死者をとぶらうもののほか,雨乞い,求福,攘災を目的とするものがある。とくに重要なのは死者への哀悼を示すもので,多く生前親しい交誼のあった人によって書かれる。死者の生前の言行をたたえ,哀傷の意をこめる。文中しばしば〈嗚呼哀哉(ああかなしいかな)〉の句が繰り返されることが多い。唐の韓愈の作品はことに有名。散文体のもの以外に,韻文体のものもある。【興膳 宏】

さいもん【祭文】

歌謡の一種。本来,祭りのときなどに神仏に対して祈願や祝詞として用いられる願文であったが,のちに信仰を離れて芸能化した。祭文の最も古い例は《続日本紀》にみえ,平安時代には陰陽道の色彩の濃いものが知られる。中世になると修験者に受け継がれ,巫女などの手にも渡って全国に広められた。そのころのものとして奈良元興寺極楽坊にあった〈夫婦和合離別祭文〉や京都広隆寺の〈牛祭祭文〉,三河地方山間部の花祭の祭文,高知県物部村の〈いざなぎ流祭文〉,中国地方の神楽に演じられる〈五行祭文〉などが知られる。

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大辞林 第三版の解説

さいぶん【祭文】

さいもん【祭文】

祭りのとき、神に奉ることば。祝詞のりと。さいぶん。
[1]歌祭文うたざいもん 」に同じ。祭文節。
祭文語り 」の略。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

祭文
さいもん

神祭りのときに奏上する文詞。わが国の神祇(じんぎ)に奏するものを一般に祝詞(のりと)と称するが、祭文とも称することがあった。祝詞文を祭文と称した例(中臣(なかとみ)祭文、宮(みやのめのまつり)祭文)、祝詞文と漢文とを混交した例(儺(ついな)祭の祭文)、中国風の祭祀(さいし)についての例(釈奠(せきてん)の祭文、天子が行う天地の祭である郊祀(こうし)の礼の祭文)などが古代から中世にかけてみえる。中世以降になると、陰陽師(おんみょうじ)、修験者(しゅげんじゃ)、巫女(みこ)などの手により、山伏祭文、歌祭文(うたざいもん)、説経祭文などとして民間に広まった。また近世には、儒葬による葬儀で、死者を弔う祭文をあげる例もあった。なお、天皇が神宮・神社・山陵等に勅使を遣わして奏上したものを宣命(せんみょう)と称したが、1873年(明治6)これを御祭文(ごさいもん)と改称して今日に至っている。[牟禮 仁]
 祭文の内容は、まず神の降臨を請い、次に降臨した神に願うべき趣旨を述べ、さらに神がその願いを聞き、事が成就(じょうじゅ)したときには何を奉納するか、などを約束する文言の続くこともある。これはいわば自己の祈願の当否の判断を神にゆだねたもので、これを天判(てんぱん)祭文とよび、起請文(きしょうもん)の一つの源流となった。のちに祭文は、独得の節のおもしろさから、信仰を離れて歌謡化し、江戸時代には「祭文語り」によって三味線や法螺貝(ほらがい)にあわせて歌われる歌祭文がもてはやされた。[千々和到]

歌祭文

神仏混淆(こんこう)のわが国では、宗教行事の俗化のなかで、祭文はすでに平安時代から芸能化の傾向があった。祭文俗化の担い手は、山伏修験の者たちで、中世にはかなり俗化が進み、近世に入って娯楽的な歌祭文となり、ついに「歌祭文」を「祭文」と略称するようになった。元禄(げんろく)期(1688~1704)には完全に芸能化して、享保(きょうほう)期(1716~36)に全盛時代を迎えた。山伏出立(いでた)ちの者が錫杖(しゃくじょう)を打ち振り、法螺貝を口にして語り、歌祭文では三味線を加えたものもあった。祭文には「謹請(きんじょう)再拝」「抑々敬白(そもそもうやまってもうす)」「祓(はら)ひ清んめ奉る……敬って申す」などの型があり、長く踏襲された。元禄時代には世俗のニュースも採用し、「色祭文」「心中(しんじゅう)祭文」ともよばれて一種の「くどき」の調子も生じた。『八百屋(やおや)お七』『お染久松』『おさん茂兵衛(もへえ)』『小三(こさん)金五郎』『お初徳兵衛』『お千代半兵衛』『お夏清十郎』『おしゅん伝兵衛』を八祭文といった。
 歌祭文の節(ふし)回しは声明(しょうみょう)から出たもので、白声(しらごえ)という発声による独特の語物であった。門付(かどづけ)も行い、法螺貝で「デロレンデロレン」と合の手を入れたので、「でろれん祭文」「貝祭文」ともいわれた。歌祭文は盆踊唄(うた)に影響を与え、さらに説経浄瑠璃(じょうるり)と結合して説経祭文となり、寄席(よせ)演芸にもなった。また、ちょんがれ(ちょぼくれ)、阿呆陀羅経(あほだらきょう)から浮かれ節となり、やがて浪花節(なにわぶし)を生むに至った。[関山和夫]
『五来重編『日本庶民生活史料集成 第17巻 民間芸能』(1972・三一書房)』

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