日本歴史地名大系 「亥子新田」の解説 亥子新田いねしんでん 三重県:四日市市亥子新田[現在地名]四日市市午起(うまおこし)浜一色(はまのいつしき)・四日市宿地先の海岸地帯に、北は海蔵(かいぞう)川河口南岸から、南は三滝(みたき)川河口にかけて造られた新田。寛政一二年(一八〇〇)六月に四日市町人一〇人が連名で願出(旧版「四日市市史」)、享和三年(一八〇三)一〇月に信楽(しがらき)(現滋賀県)代官より「御免御下知」を得て開発が行われた(「亥子新田開発普請目論見帳」四日市市立図書館蔵山中文書)。同年の仕様書上帳(同文書)では、三滝川から海蔵川にかけて三ヵ所計七九一間の堤を築き干拓するもので土砂三千五七〇坪余、人足延べ一万八〇九人を使用。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by