京丸村(読み)きようまるむら

日本歴史地名大系 「京丸村」の解説

京丸村
きようまるむら

[現在地名]世羅町京丸

中原なかばら村の北に位置し、大田おおた(現芦田川)北岸の低地部と支流域の谷々からなる農村。南西部の穴山あなやま谷入口に堀越ほりこし村の飛郷がある。古代から中世には大田庄大田方に属した。

建久元年(一一九〇)六月日付僧鑁阿置文(高野山文書)の村々別作田のうちに「京丸鷹栖」とあるのが地名の初見で、天福元年(一二三三)には京丸作田所当引付が行われているが(「備後国大田庄大田方京丸作田所当引付帳断簡」同文書)、内容は不明である。乾元二年(一三〇三)五月一四日付の備後国大田庄新田所当年貢注文(同文書)によると、京丸新田三丁三反六〇歩、分米二石九斗八升五合、延定米五石七升一合とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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