京枡座跡
きようますざあと
[現在地名]中京区橋本町
江戸時代、量制統一のために幕府が江戸と京都に独占的機関として枡座を設けたが、その責任者を江戸では江戸町年老の一人樽屋藤左衛門、京都は京都大工頭中井大和守配下の者に命じた。
京枡は方四寸九分、深さ二寸七分であったが、その枡の製造・販売を独占的に取扱った枡座が橋本町内にあった。
京枡座の責任者は初め徳川家康に直接命じられた大工棟梁山村与助であったが、以後出水三左衛門・鈴木源太夫と続き、寛永一一年(一六三四)福井作左衛門が継ぎ、以後代々世襲となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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