江戸時代前期の枡は,太閤検地における基準枡である納枡によってほぼ統一されていたが,厳密には各地また用途によって枡目には相違があった。幕府は,江戸では樽屋藤左衛門を,京都では福井作左衛門を枡座とし,それぞれ縦横4寸7分5厘・深さ2寸9分,縦横4寸9分・深さ2寸7分の枡を公定枡として製作,販売にあたらせていた。そして寛文期(1661-73)には,全国的流通の活発化などを背景に,幕府は諸国枡の調査を実施し,その結果をもとに1669年京枡をもって全国の枡を統一しようとし,江戸の樽屋と京都の福井とを枡座に定め,枡の製作,販売を独占させようとした。しかし大藩では,枡座の枡を規準として独自に枡を作成するものもあった。幕府の当初の意図である枡座による枡の製作,販売にわたっての独占は十分には成功しなかったが,それまで東西で別々の基準をもった枡が使用されていた状況に終止符が打たれ,全国一律の基準枡として京枡が採用された意義は大きい。
安永期(1772-81)になると,それまで江戸と京都の枡座で漠然と分轄されていた販売地域が,秤座同様に東西に二分され,それ以降各地に枡改役人が派遣されるようになった。枡座は秤座とともに明治維新後もしばらく存続するが,1875年に度量衡取締条例が発令され,秤座とともに廃止された。
執筆者:藤井 譲治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸幕府が江戸と京都に置いた枡統制のための組織。江戸は町年寄の一人である樽屋藤左衛門(たるやとうざえもん)、京都は大工棟梁であった福井作左衛門(ふくいさくざえもん)が管掌。江戸枡座の枡は縦横4寸7分5厘、深さ2寸9分、京都枡座の枡は縦横4寸9分、深さ2寸7分であり、初期には東西で枡の大きさが異なっていた。幕府は、1669年(寛文9)京枡座(きょうますざ)の枡をもって基準枡とし、全国の枡の大きさを統一した。しかし、大藩ではなお独自の枡を使用するところもあり、その統一は不徹底なものであった。安永期(1772~1781)になり、それまで漠然と江戸と京都とで分割されていた販売地域が、17世紀半ばには東西の国ごとに分割されていた秤座(はかりざ)に倣い、東西に分割された。以降、両枡座から枡改めの役人が諸国に派遣されるようになった。明治維新後も1875年(明治8)に度量衡取締条例が発令されるまで秤座とともに存続した。
[藤井讓治]
『藤井讓治著「江戸幕府寛文期の枡統制」「秤座・枡座における東西分掌体制の成立」(『幕藩領主の権力構造』所収・2002・岩波書店)』▽『馬場章著「江戸時代における量制統制の形態」(『日本史研究290』所収)』
枡役所とも。江戸幕府が枡の製作・販売・検定を独占的に許可した役所。江戸と京都にあった。江戸の枡座の頭人は町年寄の樽屋藤左衛門で,徳川家康とともに江戸に移り,寛文年間までには枡職人を抱えて営業を始めたらしい。これより早く京都では,慶長年間に山村与助が徳川家康から枡御用を命じられ,1616年(元和2)に与助が大坂に移った後,出水三左衛門,さらに鈴木源太夫と継承し,34年(寛永11)以降,大工棟梁の福井作左衛門家が枡座を主宰。両枡座では,1斗枡のほかに7升・5升・1升・5合・2合5勺・1合の穀物計量用6種と,1升・5合・2合5勺・1合の液体計量用4種が製作・販売された。なお幕府以外にも,水戸藩や越後国高田藩のように独自に枡座をおく藩もあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
… その後寛文年間(1661‐73)に幕府は方を4寸9分につめ,深さを2寸7分,体積を6万4827立方分とした。ついで江戸幕府は全国の枡を統一するため江戸と京都にそれぞれ枡座を置き,枡の製作,販売および〈枡改め〉,つまり取締りを行わせた。しかし公定の枡が出そろって枡改めが行われるようになったのは江戸末期で,しかも紀州藩など大藩には独自の枡を作るところもあり,地域的に多少の不統一もあった。…
※「枡座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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