京瀬村(読み)きようのせむら

日本歴史地名大系 「京瀬村」の解説

京瀬村
きようのせむら

[現在地名]津川町清川きよかわ 京ノ瀬

阿賀野川右岸に位置し、東は角島つのしま村。「新編会津風土記」によれば家数一三、北の諏訪すわ峠に至る新発田しばた街道の中ほどにある端村柳清水やなぎしみず新田(現柳新田)は四。また同岸の西にある大牧おおまき村とは田圃が入交じり地界を設けていなかった。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「津野嶋 京野瀬 八十五石六升」とある。元和六年(一六二〇)の漆木役は京瀬分として一〇〇本六分(津川旧記)。文政三年(一八二〇)の人馬改帳(佐藤一二氏蔵)に村高六〇石二斗余、家数一七・人数八〇、馬六とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 食肉目クマ科の哺乳類の総称。全般に大形で、がっしりした体格をし、足の裏をかかとまで地面につけて歩く。ヨーロッパ・アジア・北アメリカおよび南アメリカ北部に分布し、ホッキョクグマ・マレーグマなど7種が...

熊の用語解説を読む