京町堀一丁目(読み)きようまちぼりいつちようめ

日本歴史地名大系 「京町堀一丁目」の解説

京町堀一丁目
きようまちぼりいつちようめ

[現在地名]西区京町堀一丁目・靭本うつぼほん町一丁目

福井ふくい町・籃屋かごや町の南にあり、京町堀川の両岸にまたがる。両岸は東上とうじよう橋および新中しんなか橋で結ばれ、北岸東端は西横堀にしよこぼり川に架かる京町橋によってはま(現東区)に続く。京町堀川は伏見の京ふしみのきよう(現京都市伏見区)から移住した町人たちによって開削されたもので、町名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にみえる。伏見京町の町人が移住して開いたので商家が多く、道幅が広く繁華であった。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数二〇・役数二〇役で、うち年寄分一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む