日本歴史地名大系 「京隈村」の解説 京隈村きようのくまむら 福岡県:久留米市旧三潴郡地区京隈村[現在地名]久留米市白山町(しらやままち)・京町(きようまち)・縄手町(なわてまち)筑後川下流左岸、久留米段丘の北西端に位置し、南東部を池町(いけまち)川が流れる。東は久留米城下と庄島(しようじま)村、南は大石(おおいし)村。経隈とも記す。「寛文朱印留」に村名がみえる。本高は三四二石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」によると古高二二〇石・役高二七〇石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高二七〇石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田一〇町八反余・畑田一町余・畑七町三反余・居屋敷三反余。旧高旧領取調帳の高三四八石余。元和七年(一六二一)からの城下建設に伴い住人は他に移され、村域は縮小した。同九年に京隈小路、延宝四年(一六七六)に小松原(こまつばら)小路ができた。寛文四年(一六六四)瀬下(せのした)町大石口から通(とおり)町京隈口までしだいに家並が形成され、京隈口が二〇間ほど西に建替えられた(石原家記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by