日本歴史地名大系 「仁本木村」の解説 仁本木村にほんぎむら 滋賀県:蒲生郡日野町仁本木村[現在地名]日野町仁本木仁正寺(にしようじ)村の東、西流する日野川右岸の平地に位置する。地名の由来について「蒲生旧趾考」は、古くは当地が綿向(わたむき)山頂の山宮を遥拝する地にあたり、鳥居となる二本の木があったためとするが、一方、当地が里宮である村井(むらい)の馬見岡綿向(まみおかわたむき)神社の氏子圏東端の東側にあるため、前出の鳥居は里宮の神域を示すものと考えられる。江戸時代初頭は幕府領、延宝八年(一六八〇)からは甲斐甲府藩領、正徳二年(一七一二)水口藩領となる。寛永石高帳では高三四一石余、慶安二年書上によると田二八六石余・畑屋敷二四石余、永荒三〇石余。天明村高帳では三六〇石余。天正一二年(一五八四)から小柴(こしば)山への入会権を保持し、同山入会権をめぐる山論で勝訴した東郷(ひがしのごう)九ヵ村に所属(→綿向山)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by