上市街区の中心部に位置する。松尾山と号し、本尊阿弥陀如来。単立寺院(もと真宗大谷派)。上市の発祥と深く結び付く寺である。大永年中(一五二一―二八)松尾左京進光重が本願寺九世実如に帰依し、法名浄賢を賜り、一宇を建て道場としたことに始まるという。また一説には親鸞の弟子二十四哲の一人真仏坊の開基にかかわるともいわれる。真仏坊は北国布教に力を注ぎ、加賀富樫氏の外護を得て
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
茨城県那珂(なか)市瓜連(うりづら)にある浄土宗の寺。草地山(そうちさん)蓮華院(れんげいん)と号する。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。太田城の城主佐竹義敦(よしあつ)が寺地などを寄進し了実(りょうじつ)が創建した。1452年(享徳1)後花園(ごはなぞの)天皇の勅願所となり、1602年(慶長7)に徳川家康から100石の朱印をもらって経済的基盤を固め、常陸(ひたち)浄土宗の本寺として発展、関東十八檀林の一つとなって、教学・宗政の中心となった。以来、水戸家の菩提(ぼだい)所として栄えたが、1907年(明治40)の雷火で焼失し、1965年(昭和40)現状となる。国宝の紙本着色『拾遺古徳伝(しゅういことくでん)』9巻、国重要文化財の絹本着色法然上人(ほうねんしょうにん)像1幅などのほか、貴重な古文書を多数所蔵している。
[石上善應]
…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…
…常陸国久慈郡の人。8歳で瓜連(うりづら)の常福寺了実について出家。宗学を同国太田の蓮勝,箕田(みのだ)の定慧らに学ぶ。…
…出土する遺物も土製品,木製品,金属製品,石製品,動植物遺体などさまざまで,土師(はじ)質土器や青磁・白磁,杓子,漆器などの飲食具,包丁,すり鉢,土鍋,備前・常滑(とこなめ)焼壺・甕など調理・貯蔵用具をはじめ櫛や下駄などの服飾具,ふいごの羽口,土錘,犂先など生産用具,古銭・木簡など商業関係資料,塔婆,位牌,呪符など信仰・呪術資料などがあって中世における地方都市の隆盛の一端と庶民のいぶきをかいま見ることができる。 従来,草戸千軒は遺跡西側山麓に建立されていた常福寺(現,明王院。国宝)の門前町とも,当時奥深く湾入していた福山湾西岸の港町とも推定されてきた。…
…本尊十一面観音像(弘仁期,重要文化財)。現地はもと常福寺の寺地だったが,1655年(承応4)ごろ,福山藩主水野氏が城下から円光寺を移転合併し,明王院と号した。以後,福山藩主祈願所になり,備後の真言宗筆頭寺院として栄えた。…
※「常福寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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