仁江村(読み)にえむら

日本歴史地名大系 「仁江村」の解説

仁江村
にえむら

[現在地名]珠洲市仁江町

清水しみず村の西にあり、外浦街道が海岸線を通る。若山わかやま西海さいかい浦の内。永正四年(一五〇七)四月四日の岩倉いわくら(現輪島市)再興棟札によると、「二江」の彦五郎が三貫三〇〇文、虎女が二貫三〇〇文、友貞が一貫三〇〇文を奉加している。彦五郎以下は二江の有力名主層で、友貞は天正一一年(一五八三)前田利家より二〇俵の扶持を受けたことが同一〇―一五年分の西海年貢算用状写(友貞文書)の同一一年分などから知られ、「廿俵 にへ村 友貞」とある。元和二年(一六一六)の検地打渡状(同文書)によれば、田畑居屋敷四五三石余のうちに荒九一石余、肝煎友貞氏の扶持七石五斗などがあり、毛付高三五三石余、物成三ツ。この村高は当村のほか、のちの清水村・片岩かたいわ村を含むもので、寛永七年(一六三〇)に分立するまでは一村扱いであった。当地の有力名主層九人のうち友貞分が仁江村として独立した(延宝五年「仁江村儀右衛門書上」同文書)


仁江村
にえむら

[現在地名]吉海町仁江

大島の中央部にあり、東は沖友おきとも(現宮窪町)と接し、南部は急崖の海岸でひうち灘に面する。平草ひらくさ志津見しつみの小集落がある。西は平坦地で八幡やわた村・幸新田さいわいしんでん村に接する。村の中央を仁江川が流れ、谷が奥深くまで延びて水田が広がり、溜池が多い。弥生期以降の遺跡も多く、中世は大島庄吉浦よしうら方の中心地域であったと推定される。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)越智郡の項に「二江村 日損所、野山有、林有」とみえ、村高は三三九石二升で島内三位である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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