朝日日本歴史人物事典 「今大路道三」の解説
今大路道三
生年:天正5(1577)
江戸前期の医者。曲直瀬玄朔の子。名は親純,のち親清。字は亀渓,通称は玄(元)鑑,剃髪して道三(3代)。幼時より江戸幕府将軍徳川秀忠の小姓として仕え,文禄1(1592)年朝廷典薬助(従五位下)に任ぜられ,兵部大輔と号し昇殿を許される。後陽成天皇より橘姓と今大路の家号を賜って曲直瀬姓を改め,以後代々今大路を名乗り,道三を襲名して門人らが興した曲直瀬各家の医系の本家となった。法印に進み,延寿院の院号を継ぎ,元和9(1623)年東福門院の難産を救って秀忠より賞賜された。寛永3(1626)年秀忠に従って滞洛中,秀忠の室・崇源院の病用のため江戸に帰る途中発病,箱根山中で没し,湯本の早雲寺に葬られた。
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報