日本歴史地名大系 「今木村」の解説 今木村いまきむら 奈良県:吉野郡大淀町今木村[現在地名]大淀町大字今木巨勢(こせ)渓谷に接続する今木谷に立地。古代の今来郡(のち高市郡と改称)がこの地域まで延びていたと考えられ(→高市郡)、「日本書紀」雄略天皇即位前紀の「新漢(いまきのあや)の本(つきもと)の南の丘」の地に比定される。同書斉明天皇四年五月条に「皇孫建王、年八歳にして薨せましぬ。今城谷(いまきのたに)の上に、殯を起てて収む」とあり、天皇の作歌、<資料は省略されています>がみえる。「万葉集」巻一〇の「今城(いまき)の岳(をか)」も当地か。「いまきのをか」は「玉葉集」巻三にもあり、「五代集歌枕」に出る歌枕。 今木村いまきむら 大阪府:岸和田市今木村[現在地名]岸和田市今木町西大路(にしおおじ)村・東大路村の南東、牛滝(うしたき)川中流域右岸の低地と河岸段丘上一帯に位置する。村高は和泉国村高帳(鬼洞文庫蔵)によると正保二年(一六四五)は三五八石余。延宝七年(一六七九)岸和田藩による新検高は三六四石余(「泉州南郡泉郡日根郡之内絵図」中之島図書館蔵)。元禄期(一六八八―一七〇四)の和泉国郷帳(高井家文書)では三六七石余。元文五年(一七四〇)の泉州四郡村々高付帳(荒木家文書)では三六八石余。少なくとも寛永一五年(一六三八)以降幕府領であったが、元禄七年常陸土浦藩領に転じた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報