日本歴史地名大系 「東大路村」の解説 東大路村ひがしおおじむら 大阪府:岸和田市東大路村[現在地名]岸和田市東大路町西大路村の東、熊野街道(小栗街道)の南東方、牛滝(うしたき)川中流域に位置する。江戸時代中頃まで当村と西大路村を併せて大路村または両大路(りようおおじ)村と称した(→西大路村)。延宝七年(一六七九)の岸和田藩による当村の新検高は一七一石余で、田方一〇町六反余・畑方一町弱・屋敷五反余(「東大路村様子書上」浄福寺文書)、きわめて田方がちの村柄である。元文五年(一七四〇)の泉州四郡村々高付帳(荒木家文書)によると一七三石余。 東大路村ひがしおおろむら 鳥取県:鳥取市旧邑美郡地区東大路村[現在地名]鳥取市東大路・南栄町(なんえいちよう)中大路(なかおおろ)村の東、大路山の南東山麓に位置する。若桜(わかさ)往来が通り、南に進むと法美(ほうみ)郡紙子谷(かごだに)村方面に至る。拝領高は一二四石余、本免五ツ一分。安政五年(一八五八)の生高一三八石余、物成六三石余。法美郡宇倍野(うべの)山(現稲葉山)の保護を目的とした宇倍野山役米二斗余のほか、山役米一石余・藪役銀九分を課されていた(「邑美郡下札帳」太田垣家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報