日本大百科全書(ニッポニカ) 「今村了庵」の意味・わかりやすい解説 今村了庵いまむらりょうあん(1814―1890) 幕末・明治の医師。上野(こうずけ)国(群馬県)伊勢崎に、藩医長順(ちょうじゅん)(岨雲(そうん))(1763―1832)の三子として生まれた。名は亮(りょう)、字(あざな)は祗卿。1830年(天保1)江戸で幕府の侍医多紀元堅(たきもとかた)に漢方医学を学び、さらに大坂で外科医術を修めた。1858年江戸で開業。1869年(明治2)大学校で教鞭(きょうべん)をとり、1882年より東京大学で日本の医学の沿革を講義した。著作に『医事啓源』『脚気鉤要(かっけこうよう)』『日本医道沿革考』その他がある。[矢数道明][参照項目] | 多紀元堅 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今村了庵」の解説 今村了庵 いまむら-りょうあん 1814-1890 幕末-明治時代の医師。文化11年生まれ。今村岨雲(そうん)の3男。多紀元堅(もとかた),華岡準平にまなぶ。上野(こうずけ)(群馬県)伊勢崎藩侍医となり,のち幕府医学館講師。明治以後は皇太子(大正天皇)拝診医となり,東京大学などでおしえた。明治23年1月13日死去。77歳。名は亮。字(あざな)は祗卿。著作に「医事啓源」「脚気鉤要(かっけこうよう)」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例