今村有隣(読み)イマムラ ユウリン

20世紀日本人名事典 「今村有隣」の解説

今村 有隣
イマムラ ユウリン

明治・大正期のフランス語学者 第一高等学校校長



生年
弘化2年4月(1845年)

没年
大正13(1924)年9月27日

出生地
加賀国金沢(石川県)

別名
幼名=豊後

主な受賞名〔年〕
フランス教育功労勲章〔明治33年〕

経歴
安政4年藩校に入り漢学蘭学・英語を修め、元治元年横浜に出てフランス公使館員カションにフランス語を学んだ。また箕作麟祥師事。明治2年大学南校に勤め、3年大学少助教、文部少助教、中助教を経て、5年横須賀製鉄所の通弁等翻訳掛となる。6年ウィーンに出張。8年東京外語教諭となり、のち高等商業(現・一橋大学)、一高で教え、39年一高校長となった。著書に「仏語啓蒙」「対釈応用仏蘭西文法」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「今村有隣」の解説

今村有隣

没年:大正13.9.27(1924)
生年:弘化1(1844)
明治大正期のフランス学者。生年には異説もある。名は「ありちか」とも。金沢(加賀)藩士の家に生まれ,安政4(1857)年に藩校に入る。蘭学や英学を学んだのは,同藩洋学校壮猶館でのことであろう。その後,横浜に出て,カションにフランス語を学んだらしいが,箕作麟祥にも師事した。フランス語の通訳,翻訳をしたのち,東京外国語学校,高等商業(一橋大),一高などでフランス語を教授。フランス語教育者として著名であり,明治33(1900)年,フランス政府より「教育功労勲章」を受章。同39年,一高の校長となった。<著作>『仏語啓蒙』『対釈応用仏蘭西文法』『外国国勢一覧』

(田中貞夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今村有隣」の解説

今村有隣 いまむら-ゆうりん

1845-1924 明治時代のフランス語学者。
弘化(こうか)2年4月生まれ。加賀金沢藩の藩校で洋学をおさめる。のち横浜でカションにフランス語をまなび,箕作麟祥(みつくり-りんしょう)にも師事した。明治5年横須賀造船所通訳兼翻訳掛。東京外国語学校,一高などでおしえ,39年一高校長。大正13年9月27日死去。80歳。著作に「仏語啓蒙」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android