日本歴史地名大系 「今津朝山村」の解説 今津朝山村いまづあさやまむら 千葉県:市原市今津朝山村[現在地名]市原市今津朝山青柳(あおやぎ)村の南西に位置する。西は砂洲が広がるが、今津湊が置かれ、房総往還が通る。今津と朝山の二地区に分れ、史料上それぞれ単独でみえる場合がある。応永八年(一四〇一)七月一六日の馬野郡富益郷目録(覚園寺文書)にあさ山村とみえる。天正四年(一五七六)と推定される三月二八日の北条氏規朱印状(山本文書)に北条氏の半手所領として今土とみえ、北条氏および敵対する里見氏が重視した湊津であった。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳では今津浅山村とあり、高三二〇石。正保国絵図では今津島として高三二七石余。天和二年(一六八二)小出三氏の分給となるが、その申付状(野崎家文書)には今津村庄屋以下役人と、朝山村庄屋以下役人の署名があり、朝山村には字名とする注記がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by