房総往還(読み)ぼうそうおうかん

日本歴史地名大系 「房総往還」の解説

房総往還
ぼうそうおうかん

下総・上総・安房三国の江戸湾側を南北に結ぶ道の総称。公的な路程ではなく、固定した呼称もないが、便宜上船橋宿から館山城下までをその区間とし、史料上は房州往還・房州往来・房州道・木更津道・上総道・江戸道などとみえ、近代には千葉街道・房総街道の称が用いられた。道筋には江戸湾の海上交通の拠点である湊・浦・河岸が多く、これに結ばれる外房・九十九里方面や上総の内陸部からの道が幾筋も利用されており、南北に走る幹線路というよりは江戸に出るための湊、江戸に物資を運ぶ湊に至る道という性格が強かったであろう。「伊能忠敬測量日記」による継立場は、北から船橋、馬加まくわり検見川けみがわ(現千葉市花見川区)寒川さんが曾我野そがの浜野はまの(現同市中央区)八幡やわた五井ごい姉崎あねがさき(現市原市)奈良輪ならわ(現袖ケ浦市)、木更津、貞元さだもと(現君津市)佐貫さぬきみなとたけおか金谷かなや(現富津市)本郷ほんごう(現鋸南町)那古なご北条ほうじよう・館山(現館山市)となっている。

船橋と馬加間の鷺沼さぎぬま(現習志野市)に宝暦八年(一七五八)造立の尖頭角柱型墓碑があり、「右ハ江戸道」とみえる。成田道などにより船橋宿に入った人や荷は船橋浦から江戸に運ぶルートがあり、検見川・寒川・浜野では年貢米の津出しが行われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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