今津湊(読み)いまづみなと

日本歴史地名大系 「今津湊」の解説

今津湊
いまづみなと

中世以来湖西有数の湊として栄えた。近世には若狭からの物資九里半くりはん街道を越えて当地に至り、丸船に積まれて大津や湖東の湊に運ばれた。また若狭方面から竹生ちくぶ(現東浅井郡びわ町)参詣に行く人々で繁盛した。天正一一年(一五八三)羽柴秀吉は若狭往還の荷物はすべて先例により今津浦に着けるよう命じている(「羽柴秀吉書状」河原林文書)。これは大坂城築城の際、今津に功があったためといわれる。また若狭領主の浅野長政は、若狭の荷物はもとよりその家中の米まですべて今津浦に着けるよう命じ、通過荷物に対する駄別料禁止を命じている(高島郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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