20世紀日本人名事典 「今道潤三」の解説
今道 潤三
イマミチ ジュンゾウ
- 生年
- 明治33(1900)年10月11日
- 没年
- 昭和54(1979)年5月25日
- 出生地
- 長崎県高来郡
- 学歴〔年〕
- 京都帝国大学経済学部〔大正14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和42年〕,勲一等瑞宝章〔昭和47年〕,サンフランシスコ大学名誉法学博士〔昭和50年〕
- 経歴
- 大阪商船に入り、門司支店長、サイゴン支店長、南洋部長など歴任。昭和27年ラジオ東京(東京放送の前身)に入社、業務、編成、テレビ準備の各局長をつとめ、専務、副社長等を歴任し、40年社長。43年田英夫がキャスターを務める「ニュースコープ」の成田報道に際して出した今道文書「私の心境」は、組合相手のTBS紛争をひきおこし、言論・表現の自由をめぐって激しく議論された。43年民放連会長、翌年東京放送会長に就任。大衆文化としての放送文化を守り育てる情熱をもっていた数少ない放送人。著書に「アメリカのテレビネットワーク」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報