日本歴史地名大系 「今魚町」の解説 今魚町いまうおまち 長崎県:長崎市長崎町今魚町[現在地名]長崎市魚の町(うおのまち)・桜町(さくらまち)本大工(もとだいく)町の西、中島(なかしま)川右岸にある長崎外(そと)町の一ヵ町で、船手に属した。町並はほぼ南北に形成され、南は諏訪(すわ)町に通じる(享和二年長崎絵図)。町名は魚市場が置かれていたことに由来する。一六一四年(慶長一九年)イエズス会の聖体行列がサン・アントニオ天主堂を通過して、その墓地から魚(いお)町yuo machiに入っている(アビラ・ヒロン「日本王国記」)。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の長崎ロザリオ組中連判書付に「今魚町」の「るひす」「まるた」が署名している。晧台寺過去帳(晧台寺蔵)の寛永一五年(一六三八)条に今魚町とあり、寛永長崎港図に魚屋(うおや)町と記される。同一九年の平戸町人別生所糺によれば、平戸(ひらど)町のかミや伝兵衛の奉公人茂作は同一六年「いさはいのうち潟村」から「長崎魚町」に来たという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by