日本歴史地名大系 「付島村」の解説 付島村つきしまむら 埼玉県:浦和市付島村[現在地名]浦和市大間木(おおまぎ)大間木村の南に位置し、洪積台地とそれに付随する沖積低地からなる。見沼の南端に位置し、寛永六年(一六二九)の見沼溜井造成に際しては当村と木曾呂(きぞろ)村の間に八丁(はつちよう)堤が築かれた。附島とも記し(「風土記稿」など)、現在の字名も附島。見沼代用水(東縁)・芝(しば)川が流れ、赤山(あかやま)街道が通る。北に見沼通船堀がある。 付島村つけしまむら 愛知県:稲沢市付島村[現在地名]稲沢市附島(つけしま)町西は牛踏(うしぶみ)村・福島(ふくじま)村に接し、村の中央に人家が集中している(天保村絵図)。天正末は織田信雄の家臣水野伝三郎・魚住善右衛門の知行地であった(織田信雄分限帳)。概高六九九石余で、五九一石余は藩士四人の給知。田地二九町一反九畝余・畑地一四町五反余。隣村の込野(こみの)・北麻績(きたおうみ)・福島・千代(せんだい)・大矢(おおや)から入小作があり、「地高ニシテ水ハキハヨキ所ナリ、村中ニ樫ノ木・女竹多シ」(徇行記)という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by