仙石左京(読み)せんごく・さきょう

朝日日本歴史人物事典 「仙石左京」の解説

仙石左京

没年天保6.12.9(1836.1.26)
生年天明7(1787)
江戸後期の但馬国(兵庫県)出石藩家老。幼名は半,長じて左京を称する。諱は久寿。父は仙石三次久長。文化12(1815)年に父の隠居により,29歳で家督を相続して知行1500石で大老本席に任ぜられる。このころ藩の財政は債務が6万両にのぼるなど窮迫を告げており,左京は文政4(1821)年に藩主仙石政美に建言して勝手方年寄仙石造酒を解任して,自らがその任についた。左京は大老として専権をふるって財政改革に乗り出し,家臣に対する平均4割余の封禄削減としてのきびしい借知,領民への御用銀の賦課,産物会所仕法による生糸専売などを行った。しかし文政7年5月に藩主政美が江戸参勤の途次に死去したとき,その後嗣選定会議に左京が息子の小太郎をともなって出府したことを御家乗っ取りの意図を表すものとして仙石造酒派の攻撃を受け,いわゆる「仙石騒動」へと発展していった。左京派から追放された河野瀬兵衛,神谷転らが幕府に上訴したことから,幕府寺社奉行脇坂安董のもとで公裁がすすめられ,左京は御家乗っ取りの嫌疑で獄門刑に処せられた。<参考文献>宿南保『仙石騒動』

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仙石左京」の解説

仙石左京 せんごく-さきょう

1787-1836* 江戸時代後期の武士
天明7年生まれ。但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)藩家老。文化12年藩主仙石政美(まさよし)のもとで筆頭家老となり,藩の財政改革をおこなったが,政美の死後,お家乗っ取りの疑いをもたれ(仙石騒動),幕府裁決により天保(てんぽう)6年12月9日獄門に処せられた。49歳。名は久寿。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の仙石左京の言及

【仙石騒動】より

…仙石氏の財政窮乏は19世紀に入って深刻化し,その立直しをめぐり大老(家老)の家筋である仙石式部家と主計(かずえ)家の対立が生じた。1824年(文政7)藩主政美(まさみつ)が死に,嗣子がないため江戸で跡目の相談があり,式部家の仙石左京久寿は長男を伴って出府した。このことがお家乗取りの陰謀と疑われ,左京は主計家仙石造酒助(みきのすけ)久恒らによって大老の座を追われた。…

※「仙石左京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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