朝日日本歴史人物事典 「仙石左京」の解説
仙石左京
生年:天明7(1787)
江戸後期の但馬国(兵庫県)出石藩家老。幼名は半,長じて左京を称する。諱は久寿。父は仙石三次久長。文化12(1815)年に父の隠居により,29歳で家督を相続して知行1500石で大老本席に任ぜられる。このころ藩の財政は債務が6万両にのぼるなど窮迫を告げており,左京は文政4(1821)年に藩主仙石政美に建言して勝手方年寄仙石造酒を解任して,自らがその任についた。左京は大老として専権をふるって財政改革に乗り出し,家臣に対する平均4割余の封禄削減としてのきびしい借知,領民への御用銀の賦課,産物会所仕法による生糸の専売などを行った。しかし文政7年5月に藩主政美が江戸参勤の途次に死去したとき,その後嗣選定会議に左京が息子の小太郎をともなって出府したことを御家乗っ取りの意図を表すものとして仙石造酒派の攻撃を受け,いわゆる「仙石騒動」へと発展していった。左京派から追放された河野瀬兵衛,神谷転らが幕府に上訴したことから,幕府寺社奉行脇坂安董のもとで公裁がすすめられ,左京は御家乗っ取りの嫌疑で獄門刑に処せられた。<参考文献>宿南保『仙石騒動』
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報