以酊庵(読み)いていあん

精選版 日本国語大辞典 「以酊庵」の意味・読み・例文・類語

いてい‐あん【以酊庵】

対馬にあった禅寺(瞎驢山以酊禅庵)の称。天正八年(一五八〇景轍玄蘇開創。現在の長崎県対馬市厳原(いずはら)町国分の臨済宗南禅寺派西山寺にあたる。江戸時代幕府五山碩学(せきがく)(=学僧)をここに派遣して、朝鮮との往復書簡のことや朝鮮からの使者接待のことなどにあたらせた。慶応四年(一八六八廃止

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「以酊庵」の意味・読み・例文・類語

いてい‐あん【以酊庵】

対馬つしまにあった禅寺。江戸幕府は五山の学僧を交替で派遣し、朝鮮との往復書簡のことや使者の接待にあたらせた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の以酊庵の言及

【対馬島】より

…唯一の開港場とされた釜山には頻繁に対馬船が渡航し,倭館には数百人の家臣・商人などが常駐した。35年(寛永12)以後日朝外交の体制が整備し,府中の以酊庵(いていあん)に京都五山僧が輪番で赴任し外交文書を管掌する(以酊庵輪番制)など,幕府の統制も強化された。 また,家臣団の城下集住と大火を契機に城下町(府中)も整備し,藩政機構も整えられた。…

【柳川一件】より

…この事件は,35年,将軍徳川家光の親裁によって調興方の有罪に決し,義成はひきつづき日朝関係の管掌を認められた。それとともに対馬の以酊庵に京都五山の僧を駐在させ,日朝外交文書を管掌させる(以酊庵輪番制)など,幕府が日朝関係を管理・統制する体制が強化された。また,朝鮮側の国書で徳川将軍を〈日本国大君〉と呼ばせ(従来は〈日本国王〉),日本側の国書に日本年号を使用するなど,国書の体裁が改められた。…

※「以酊庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android