朝日日本歴史人物事典 「伊余部馬飼」の解説
伊余部馬飼
「大宝律令」編纂に参加した学者。氏名は伊与部,伊預部,名は馬養とも書く。持統3(689)年撰善言司(書物編纂官)となり,文武4(700)年に律令の編纂に加わった功により,翌年には「大宝律令」の完成により,いずれも禄を賜った。時に従五位下。『懐風藻』に皇太学士として,詩1首を残しており,享年45とある。大宝3(703)年2月,子に田6町,封100戸を賜っているので,没時はこのころか。天平宝字1(757)年には功田の品を下功田と定められ,10町を子に伝えた。『釈日本紀』巻12に引用されている『丹後国風土記』によれば,馬飼が丹後守であったときに浦嶋子の伝説を記したという。<参考文献>滝川政次郎『律令の研究』
(岩本次郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報