日本歴史地名大系
「伊勢東街道・伊勢西街道」の解説
伊勢東街道・伊勢西街道
いせひがしかいどう・いせにしかいどう
中山道関ヶ原宿の公門から分岐して伊勢桑名に通じる近世の街道。東街道・西街道を合せ伊勢街道と称するが、また伊勢路・行幸街道ともいう。古くは不破関の東側から現養老郡上石津町牧田へ出たようである。この牧田―関ヶ原間の道筋は濃州三湊(現養老郡養老町)と近江米原を結ぶ九里半街道と重なる。
東街道は牧田街道・船海道ともよばれ、正保国絵図に牧田を経て沢田村(現養老町)を過ぎ、現海津郡南濃町域の津屋村・志津村・徳田村・上野河戸村・安江村を通って伊勢に入る道がみえ、これが東街道に相当するものと考えられる。伝承に、日本武尊が伊吹山から伊勢に帰るとき通過したといい、また霊亀三年(七一七)などの元正天皇の養老行幸、天平一二年(七四〇)の聖武天皇の美濃行幸にも東街道が利用されたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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