日本歴史地名大系 「木曾三川」の解説
木曾三川
きそさんせん
濃尾平野を流れ、涵養し、伊勢湾に注ぐ木曾川・長良川・
木曾川の土砂の供給は長良川・揖斐川に比べて著しく大きい。これは扇状地や自然堤防などの地形の規模からも一目瞭然である。この土砂供給量の多寡が傾動的角盆地運動と相まって、濃尾平野をいっそう東高西低の沖積平野に発達させた。そのため沖積平野は帯状に分布するとはいうものの、濃尾平野の中央部から南部にかけては、木曾川の右岸地域(美濃側)と左岸地域(尾張側)では地盤高も異なり、右岸側に低く、地形域の異なる場合さえみられる。ただでさえ美濃側の地盤が低いのに、江戸時代初頭の御囲堤なる尾張側の連続堤の形成が、美濃平野にいかに多くの洪水災害を与える契機になっていたかが理解できるであろう。それゆえ、美濃平野においては洪水災害から身を守るために、輪中なる人工地形を構築・拡充して水防にあたらねばならなかった。濃尾平野には沖積平野における地形域である扇状地帯域、自然堤防・後背湿地の卓越する帯域、三角洲帯域の三地形域すべてが存在し、輪中もこれらの三地形域にわたって分布し、その地形特徴を生かした輪中堤を構築していた。例えば扇状地帯域の尻無堤は、扇状地という地形環境を生かし、湛水時の排水を考慮した輪中堤であり、自然堤防・後背湿地の卓越する帯域や、三角洲帯域にみられる懸廻堤とでは、その機能や形態・規模は明らかに異なっている。
木曾川は近世中期まで
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報