伊勢領村(読み)いせりようむら

日本歴史地名大系 「伊勢領村」の解説

伊勢領村
いせりようむら

[現在地名]高岡市戸出伊勢領(といでいせりよう)

庄川下流左岸に位置。戸出町へ通じる巡見使道の北に位置し、村内を祖父(そふ)川・場市(ばいち)川が北流する。東は市野瀬(いちのせ)村、南は中之宮(なかのみや)村。小伊勢領(こいせりよう)村(現福岡町)は枝郷。天正一三年(一五八五)一〇月一四日の河上蔵米皆済状(越中志徴)に「壱貫参百卅目、伊勢之村」とある。元和五年(一六一九)の家高新帳には戸出又右衛門組に属して「いセりやう村」とみえ、役家数八。寛永九年(一六三二)の古高五九〇石余、元和四年以後の新開高六〇石余。古高は四四三石余が岡田次太夫、一四七石余が小寺九郎兵衛の給地(「古高新開指上高物成帳」川合家文書)。正保郷帳では高二九五石余、田方一八町六反余・畑方一町、新田高七四石余。


伊勢領村
いせりようむら

[現在地名]富山市水橋伊勢領(みずはしいせりよう)

上市(かみいち)川西方に位置し、西は恋塚(こいづか)村など。「越中志徴」が引く郷村名義抄によると、かつて田中村といったが、加賀藩主二代前田利長の時代に伊勢神宮領となって伊勢領村と称されたという。しかし、同書は往古からの伊勢神領だったと推測している。正保郷帳では高二六七石余、田方一六町二反余・畑方一町六反余。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高二三〇石・免三ツ八歩。寛文一〇年(一六七〇)・天保九年(一八三八)の草高・免に変化はない(「高免等書上帳」折橋家文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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