滑川(読み)ナメリカワ

デジタル大辞泉 「滑川」の意味・読み・例文・類語

なめりかわ〔なめりかは〕【滑川】

富山県中部の市。富山湾に臨み、早月川河口沖はホタルイカ群遊海面として特別天然記念物。売薬業が盛ん。人口3.4万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「滑川」の意味・読み・例文・類語

なめりかわ なめりかは【滑川】

富山県中東部の地名。富山湾に面する。室町時代には関所が置かれ、江戸時代には北陸街道宿場町、港町として栄えた。越中売薬の拠点。ホタルイカで有名。昭和二九年(一九五四)市制。

なめり‐がわ ‥がは【滑川】

神奈川県鎌倉市を流れて由比ケ浜に注ぐ川。青砥藤綱(あおとふじつな)が川に落とした銭一〇文を、五〇文で買った松明を使って拾わせたという故事で有名。

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日本歴史地名大系 「滑川」の解説

滑川
なめりかわ

平安末期から京都祇園社領の堀江ほりえ庄三ヵ村のうちの一村として滑川村とみえるが、南北朝期以降は滑川(滑河)となり、近世の滑川町の前身となったと考えられる。富山湾に面した現在の滑川市街一帯に比定される。「祇園社家条々記録」によると、堀江庄と「梅沢・小泉・滑河三ケ村」は文治二年(一一八六)六月一六日に行われた京都祇園社六月会の料所とされており、両所合せて一七貫文のうち三ヵ村は楽人舞人禄・饗膳等料五貫文を庄役として賦課されていたという。寛元二年(一二四四)前後には滑川村は堀江庄三ヵ村から離脱し、代わって西条さいじよう村が三ヵ村の一つとなっている。こうして同村は堀江庄内の一村として祇園社領に位置づけられ、代々の執行に相伝されていったと考えられる。観応の擾乱で堀江庄内にも足利尊氏・直義両派の軍勢が押寄せたため、同庄雑掌は同村などの村々の領家職の保全を幕府へ訴えた。

滑川
なめりがわ

十二所朝比奈じゆうにそあさひな切通辺りの谷と二階堂にかいどうの谷奥を水源とし、うたノ橋で合流して小町こまち材木座ざいもくざを流れ、由比ゆいガ浜中央に注ぐ。旧鎌倉市域最大の川で、全長約七キロ。川名は、上流では凝灰砂岩の川底を水が走るように流れる様子にちなむとか、享保二年(一七一七)の「湘中紀行」に「澗底蒼滑、曰滑川」と記すように、谷川の底が青苔で滑るからだという説もある。かつて上流では胡桃くるみ川、浄妙じようみよう寺前で滑川、伝文覚屋敷跡の辺りでは坐禅ざぜん川、小町本覚ほんがく寺前付近で夷堂えびすどう川、延命えんめい寺近辺ですみ(炭)うり川、河口付近では新居閻魔あらいえんま堂にちなんで閻魔川と称した。

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改訂新版 世界大百科事典 「滑川」の意味・わかりやすい解説

滑川[市] (なめりかわ)

富山県中部,富山市の北東部に隣接する市。1954年市制。人口3万3676(2010)。富山平野の中心からやや北東,早月川の扇状地に位置し,富山湾に臨む。中心の滑川は北陸街道の宿場町,新川地方の穀物の集散地として発達した。古くから漁業も盛んで,中川河口の滑川港はかつては河東七浦の一つに数えられた。漁獲物のうちホタルイカは世界的にも珍しい発光動物で,群遊海面は1952年特別天然記念物に指定され,春の漁期には観光客でにぎわう。有名な越中売薬は1733年(享保18)ころから行われ,現在も製薬工場,家庭配置薬業者が多い。JR北陸本線,富山地方鉄道,国道8号線,北陸自動車道が通じ,近年はしだいに富山市の衛星都市の性格を強め,金属製品,電気機器などの工場が増加している。なお,1918年に米価の騰貴に対して漁師町の主婦が反発し,魚津での同様の動きとともに,これが全国的な米騒動の発端となった。
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滑川[町] (なめがわ)

埼玉県中央部,比企郡の町。1984年町制。人口1万7323(2010)。町域は比企北丘陵中央部,東松山市の北西に位置する。滑川が町域を貫流し,樹枝状に発達する谷底は水田に利用され,谷頭には灌漑用の溜池が数多くみられる。かつては米作と養蚕を中心とする純農村であったが,明治百年記念事業の一環として町の北東部に国営武蔵丘陵森林公園が建設されたのを契機として変化がみられた。1971年,東武東上線に森林公園駅が開設されて東京方面への交通の便がよくなり,かつて減少していた人口は1970年代から増加に転じた。74年に開園された森林公園は面積約304ha,園内には自然を生かしてサイクリングロード,運動広場,キャンプ場などが設けられている。76年には東松山市との間に東松山工業団地が造成され,精密機械などの工場が操業している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「滑川」の意味・わかりやすい解説

滑川
なめがわ

千葉県北部、成田市(なりたし)の一地区。江戸時代、利根(とね)川水運が盛んになり、その河港として発達した。滑河観音(かんのん)(坂東(ばんどう)三十三所第28番札所)の名で知られる龍正院(りゅうしょういん)には室町中期の様式を伝える茅葺(かやぶ)き寄棟造仁王門があり、国の重要文化財に指定されている。一帯には水田が広がり、施設園芸や酪農も行われる。台地上にゴルフ場があり、利根川では釣りや散策が楽しめる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滑川」の意味・わかりやすい解説

滑川
なめがわ

千葉県北部,成田市北部の旧町域。利根川に面する。 1889年滑河町として町制施行。 1955年高岡村,小御門村と合体し下総町となり,2006年成田市に編入。利根川水運時代,河港として栄えた。滑河観音と呼ばれる竜正院があり,仁王門は国指定の重要文化財。米作,酪農が主産業。

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