平安末期から京都祇園社領の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山県中部、富山湾に臨む市。西は富山市に接する。1954年(昭和29)市制施行。あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)、富山地方鉄道本線、国道8号、北陸自動車道が通じる。早月川(はやつきがわ)新扇状地と南部の段丘状の旧扇状地、丘陵性山地を占める。市域の大部分は古代の加積(かづみ)郷の地。中心の滑川は江戸時代には北陸街道に沿う宿駅で、本陣があり、また加賀藩の藩倉が置かれた。工業は早月川左岸の氾濫(はんらん)原に日本カーバイト、扇央部にYKKの工場がある。また小規模な薬品工場が多く、売薬業は富山市に次ぎ、とくに堀江地区は売薬農村として知られる。富山湾の早月川の河口沖は「ホタルイカ群遊海面」として国の特別天然記念物に指定。東福寺は県自然環境保全地域でレクリエーションの公園施設がある。海洋深層水の陸上取水施設をもつ富山県水産研究所がある。面積54.62平方キロメートル、人口3万2349(2020)。
[深井三郎]
『『滑川市史』全3巻(1979~1985・滑川市)』
埼玉県中部、比企郡(ひきぐん)にある町。1984年(昭和59)町制施行。東武鉄道東上線が東西に通じ、2002年(平成14)には新駅「つきのわ」駅が開業した。南端部を国道254号が通る。比企丘陵内にあり、低い丘陵と、市野(いちの)川の支流滑川の河谷平野からなり、丘陵内には溜池(ためいけ)が多くみられる。養蚕を主とした農村であったが、養蚕は衰退し、近年はクリ、トマトなどの栽培が盛んである。南部に東松山工業団地が造成され、工業生産の増加も図られている。北東部には武蔵丘陵森林公園(むさしきゅうりょうしんりんこうえん)が造成され、自然観光地としてにぎわいを呈している。1986年に国の天然記念物ミヤコタナゴの生息が正式に確認され、1996年に「タナゴ館」、2000年には「エコミュージアムセンター」がつくられ、ミヤコタナゴの保護活動が進められている。面積29.68平方キロメートル、人口1万9732(2020)。
[中山正民]
『『滑川村史』全2巻(1984・滑川村)』
富山県中部,富山市の北東部に隣接する市。1954年市制。人口3万3676(2010)。富山平野の中心からやや北東,早月川の扇状地に位置し,富山湾に臨む。中心の滑川は北陸街道の宿場町,新川地方の穀物の集散地として発達した。古くから漁業も盛んで,中川河口の滑川港はかつては河東七浦の一つに数えられた。漁獲物のうちホタルイカは世界的にも珍しい発光動物で,群遊海面は1952年特別天然記念物に指定され,春の漁期には観光客でにぎわう。有名な越中売薬は1733年(享保18)ころから行われ,現在も製薬工場,家庭配置薬業者が多い。JR北陸本線,富山地方鉄道,国道8号線,北陸自動車道が通じ,近年はしだいに富山市の衛星都市の性格を強め,金属製品,電気機器などの工場が増加している。なお,1918年に米価の騰貴に対して漁師町の主婦が反発し,魚津での同様の動きとともに,これが全国的な米騒動の発端となった。
執筆者:藤森 勉
埼玉県中央部,比企郡の町。1984年町制。人口1万7323(2010)。町域は比企北丘陵中央部,東松山市の北西に位置する。滑川が町域を貫流し,樹枝状に発達する谷底は水田に利用され,谷頭には灌漑用の溜池が数多くみられる。かつては米作と養蚕を中心とする純農村であったが,明治百年記念事業の一環として町の北東部に国営武蔵丘陵森林公園が建設されたのを契機として変化がみられた。1971年,東武東上線に森林公園駅が開設されて東京方面への交通の便がよくなり,かつて減少していた人口は1970年代から増加に転じた。74年に開園された森林公園は面積約304ha,園内には自然を生かしてサイクリングロード,運動広場,キャンプ場などが設けられている。76年には東松山市との間に東松山工業団地が造成され,精密機械などの工場が操業している。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新