伊和保新田
いわほしんでん
[現在地名]宇佐市岩保新田
松崎村・佐々礼村の北方地先、寄藻川河口西側の周防灘を埋立て成立した新田。巌保・岩保とも記し、また「いわお」ともいう。日田の郡代塩谷正義による見立新田の一で、引請人は四日市村の加登屋幸六、さらに日田の広瀬久兵衛、法鏡寺村の勘左衛門、温見村(現院内町)の寿平、下麻生村の三蔵、田所村(現院内町)の三左衛門・要右衛門、斎藤村(現同上)の儀右衛門が助力した。天保七年(一八三六)の伊和保新開凡取調帳(広瀬家文書)などによると、文政一〇年(一八二七)から堤防工事に掛かり、同一三年に二千六〇間の堤防を一とおり仕上げている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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