伊太
曾神社
いたきそじんじや
[現在地名]和歌山市伊太祈曾
旧官幣中社。祭神は五十猛命・大屋津姫命・
津姫命の三神で、一括して伊太
曾三神ともいう。「日本書紀」神代上の宝剣出現の段の一書によると、五十猛神はわが国に木種をもたらした神で、その功によって有功の神と称された。また「先代旧事本紀」地神本紀では大屋彦神ともよばれている。「古事記」上巻にみえる「木国の大屋毘古神」も大屋津姫命と対の神名であると考えられ、五十猛命の異称であろう。一方、紀州志略(大阪府立中之島図書館蔵)は当社の項に縁起にいうとして、河内国岩堀明神、大峯釈迦嶽科戸明神、伊勢山田風宮、皆この神のことで、和銅六年(七一三)一〇月に当地に降臨したと記す。そのほかにも、中世頃から祭神を手力男命とする説もあらわれたが、「続風土記」は誤伝とする。
社伝によると、伊太
曾三神はともに現在の日前国懸神宮(現和歌山市)の地に鎮座していたが、その地を神宮に譲って三神とも山東(現同上)へ遷座した。大宝二年(七〇二)には分遷されたが、伊太
曾神社は山東にとどまったという。なお大宝二年分遷のことは「続日本紀」同年二月二二日条にみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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