相嘗祭(読み)あいなめのまつり

改訂新版 世界大百科事典 「相嘗祭」の意味・わかりやすい解説

相嘗祭 (あいなめのまつり)

あいにえのまつり〉とも。律令時代宮廷祭祀の一つで,神祇令には仲冬(11月)上卯の日の神事として規定がある。大倭・大神住吉など特定の少数の神社に対し朝廷より幣物を奉献するもので,幣物の品目・数量ともに豊富であることが注目される。相嘗祭にあずかる神社としては,《令集解(りようのしゆうげ)》に引く8世紀末ころの釈説は山城以外の畿内諸国と紀伊国の15社をあげ,10世紀の《延喜式》では山城国が加わり41社に増加している。《日本書紀》天武5年(676)10月条に〈相新嘗〉とあるのが初見とされる。新嘗祭に先立って神々に新穀を奉る神事というのが通説である。しかし近年では宮都が南大和に営まれた時代に開始されたもので,宮廷の新嘗祭に吸収できなかった伝統的な大社の秋の収穫祭をこのような形で存続したものであろうと説かれている。律令制衰退とともにしだいに廃絶した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相嘗祭」の意味・わかりやすい解説

相嘗祭
あいなめまつり

上代、11月上(かみ)の卯(う)の日に天皇が諸神に新穀を供した祭り。「あいにえまつり」「あいんべまつり」ともいう。相新嘗(あいにいなめ)の略語とみられ、神に新穀をさしあげ、天皇が神とともに饗宴(きょうえん)を行う意と解されるが、あるいは諸神合同の新嘗の祭りと考えるほうが原義にかなうともいえる。相嘗は、これに先だつ伊勢(いせ)神宮神嘗(かんなめ)祭や11月下(しも)の卯の日の新嘗祭と共通する性格をもち、諸神に対する報賽(ほうさい)の目的をもって行われた祭りである。記録上では『日本書紀』天武(てんむ)天皇5年(676)10月丁酉(ひのととりのひ)(3日)の条に「祭幣帛於相新嘗諸神祇」とあるのが初見。相嘗にあずかる神は時代を追って増加し、平安時代には山城(やましろ)、大和(やまと)、河内(かわち)、摂津、紀伊の5か国の71座の神々に奉幣(ほうへい)が行われたことが『延喜式(えんぎしき)』にみえる。しかし、やがて祈年(としごい)、新嘗、月次(つきなみ)(年2回)の四つの祭を四箇祭(しこのまつり)と称し、国の大事とする祭祀(さいし)体制が確立されるようになると、この相嘗祭はしだいに衰微するに至り、のちには賀茂(かも)の斎院(さいいん)などの数社に限られるようになった。

[倉林正次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相嘗祭」の意味・わかりやすい解説

相嘗祭
あいなめさい

あいにえのまつり,あいなめのまつり,あいんべのまつりなどともいう。 11月の上の卯の日,71座の神々に収穫を感謝し新穀を奉る祭り。

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世界大百科事典(旧版)内の相嘗祭の言及

【相嘗祭】より

…大倭・大神・住吉など特定の少数の神社に対し朝廷より幣物を奉献するもので,幣物の品目・数量ともに豊富であることが注目される。相嘗祭にあずかる神社としては,《令集解(りようのしゆうげ)》に引く8世紀末ころの釈説は山城以外の畿内諸国と紀伊国の15社をあげ,10世紀の《延喜式》では山城国が加わり41社に増加している。《日本書紀》天武5年(676)10月条に〈相新嘗〉とあるのが初見とされる。…

【冬祭】より

…祭りは本来季節を先導すべき行事であるから,実際の季節感覚に先行する。古代律令制下の神祇官所祭の四時祭では仲冬つまり旧11月の相嘗祭(あいなめまつり)と鎮魂(たましずめ)(鎮魂祭(ちんこんさい))と新嘗祭(にいなめさい)の三祭,季冬つまり旧12月の月次(つきなみ),鎮火(ほしずめ)(鎮火祭(ちんかさい)),道饗(みちあえ)の三祭が冬祭にあたる。相嘗は諸国の神々へ,新嘗は皇祖神へ新穀を供する収穫感謝の祭りであり,鎮魂は天皇霊を補強する神事であるが,季冬の三祭は季夏旧6月にも執行される社会安泰祈願の祭りである。…

※「相嘗祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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