日本歴史地名大系 「伊奈富神社」の解説
伊奈富神社
いのうじんじや
[現在地名]鈴鹿市稲生町 楠本
稲生神社とも書く。「延喜式」神名帳奄芸郡の「伊奈冨神社」として異論のない社である。旧県社。祭神保食神・大国道命で、五穀豊饒の神とされた。当社蔵、室町期の勢州稲生村三社絵図によれば、西宮・大宮・三大神の三社に分れ、東西五〇〇メートルの神域を有する大社であった。右の三社の祭神には諸説あるが、稲生大明神縁起式では、西宮が地主姫大神、大宮が奈江大国道命(保食神と同一とする)、三大神が鳴雷神としている。明治四一年(一九〇八)西宮・三大神その他の境内社は中央の大宮に合祀された。
伊奈冨神社御伝記は創立を崇神天皇の時と伝え、当社蔵の一六神像(県指定文化財)中の藤原時代作の男神坐像は崇神天皇像といわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報