伊奈忠克(読み)いな ただかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊奈忠克」の解説

伊奈忠克 いな-ただかつ

?-1665 江戸時代前期の武士
伊奈忠治(ただはる)の長男幕臣承応(じょうおう)2年父の跡をつぎ関東郡代となり,翌年水道奉行として玉川上水を完工させる。のち江戸湾に流入していた利根川を銚子口にかえ,万治3年には利根川の水を武蔵(むさし)幸手(さって)領(埼玉県)にひく灌漑(かんがい)用の幸手用水などをひらいた。寛文5年8月14日死去。通称は半左衛門。名は忠勝ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊奈忠克の言及

【葛西用水】より

…埼玉県東部から東京都まで延びる一大農業用水路。1660年(万治3)幕府の代官伊奈半左衛門忠克が開削。埼玉県羽生市本川俣で利根川から取水,会ノ川を合わせた後,川口で古利根川に入る。越谷市前波付近で古利根川と分かれて,南西へ約3km流れた後,元荒川に入り,その河床をせき止めて瓦曾根溜井とした後,一部の水はそのまま元荒川を流れて古利根川へ合流する。残りの水は南流して草加・八潮両市の一部の水田を灌漑する。【籠瀬 良明】…

【関東郡代】より

…江戸幕府の地方行政官の職名。代官頭伊奈忠次の系譜を引く伊奈氏が世襲で郡代職を継いだが,江戸後期に勘定奉行の兼任後,一時,廃止されたが再置,幕末に関東在方掛と改称された。徳川氏の関東入国後,代官頭伊奈忠次が100万石を支配したが,その子忠政の弟忠治が引き続き地方(じかた)支配した。1642年(寛永19)に幕府は忠治に対し関東代官の統轄と河川の改修,築堤の専管を命じ,これによって関東郡代が事実上成立した。…

※「伊奈忠克」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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