朝日日本歴史人物事典 「伊奈忠克」の解説
伊奈忠克
生年:生年不詳
江戸前期の関東郡代。通称半左衛門。伊奈忠治の長男。寛永9(1632)年はじめて将軍徳川家光に拝謁。正保2(1645)年関東の代官となる。慶安3(1650)年五畿内および近江,伊勢,美濃の洪水地域を査察し修復に努めた。承応2(1653)年,関東郡代職を世襲。父の遺領7000石を相続したが,内3960石を知行し,他を弟2人に分与する。翌3年に水道奉行として,父忠治の事業を継承し江戸市民の飲料水となる玉川上水を完成。次いで葛西用水(埼玉県,東京都)や琵琶溜井用水(埼玉県)を開削。また江戸湾に入っていた利根川を東遷事業により,銚子口へ流れるようにした。寛文1(1661)年には武蔵,下総,常陸の新田開発を推進。同4年に陸奥国信夫郡,伊達郡のうち幕領12万石の支配を兼務した。郡代在任11年8カ月。<参考文献>本間清利『関東郡代』,『川口市史/通史編』上
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報